週刊ヤングジャンプで連載されている漫画「キングダム」では、数多くの個性的で魅力的なキャラクターが登場します。
主人公信のような奴隷出身の武将をはじめ、後の始皇帝である嬴政、秦の英雄の六大将軍の王騎など、どの人物も読者の心を打ちます。
その中でも、悲劇的な最後を迎えた人物として、春申君(しゅんしんくん)という楚の宰相がいました。
弱小国だった楚をその手腕で拡大し、一時の栄光を得たものの、なぜ春申君は殺されてしまったのでしょうか。
本記事では李園との関係にも迫っていきます。
目次
キングダムで春申君はなぜ死亡した?
春申君は史記にも登場する人物で、平民の出身でありながらも楚の宰相に登りつめ、楚の王に匹敵するほどの力を持っていました。
20年以上楚の統治に携わり、楚の領土を大きく拡大してきた春申君は、合従軍の総司令を務めました。
春申君とは?
春申君は楚国の宰相で、風方平原で合従軍が集まった時に、李牧に連れてこられる形で皆の前に姿を現しました。
読者からすれば、誰かは全くわかりませんでしたが、各国の将軍達が皆驚いていたのが印象的でした。
戦国四君の最後の一人として、楚を20年間統治し、国力を拡大させてきたそうですが、それにしては見た目が若いように見えます。
しかし食客3000人を抱えるということは、顔の広さと政治力の強さが伺えます。
作中では、初対面の燕軍のオルドに対して「バカ」と言ったり、率直で短気な性格をしています。
函谷関の戦いを始めるときは、総司令として自軍の将軍である汗明に開戦の号令をさせました。
春申君の登場は何巻何話?
キングダムの春申君が熊🐻ちゃんに見えて…
特に眉毛 pic.twitter.com/pT8JiefKqA— ブーブーブンコちゃん (@susabubunkochan) March 29, 2018
春申君の登場は、25巻の269話です。
突如現れた合従軍の攻撃に右往左往しながらも、嬴政が皆を奮い立たせ、話し合い対策を練っていく姿が印象的です。
表紙の嬴政も一皮剥けてより雄々しくかっこよくなりましたね。
春申君はなぜ死亡した?
春申君は、自分の子供を身籠った妻を王に嫁がせる計画をしていましたが、その計画に反する態度をとったからです。
楚の王である考烈王が亡くなって、春申君の子供を王にさせる予定でしたが、春申君がこれに反対したそうです。
春申君自身も、李園を暗殺しようと考えていましたが、李園の方がいち早く行動しました。
考烈王の葬儀に行く途中、城門の前で待ち伏せしていた李園の刺客によって、めった刺しにされてしまいました。
春申君の葬儀の参列者は、考烈王の葬儀よりも多く、項翼も白麗も取り乱していました。
それほどに春申君は、楚にとってはいなくてはならない存在だったのでしょう。
李園との関係についても
李園は、史実によれば春申君の食客だったようです。
しかし、春申君を暗殺してからは、楚国の実権を握り、新たな宰相として国の舵取りを行いました。
李園とは?
李園は、春申君の食客でしたが、自身の妹の子供が王に即位したため、楚の新しい宰相になりました。
楚の朝廷の再構築を計るため、武将が嫌いでありながらも、廉頗と密通し、媧燐を呼び寄せました。
春申君や考烈王が作った楚だけでは飽き足らず、武将の力を使ってまでも、成し遂げたい大きな野望があるように見えます。
春申君と李園
李園と春申君は、食客として密な間柄でした。
考烈王に子供ができないことに業を煮やした春申君は、自身の子供を身籠った、李園の妹を王に嫁がせる計画を立てました。
李園は王弟の異常な性格に心を痛め、楚国が王弟にめちゃくちゃにされることを恐れていました。
しかし、春申君は計画を全て明るみにすると李園を脅しました。
李園は、自分の妹を殺されたくはなかったので、やむなく春申君を暗殺します。
子供ができなかったと言われる楚の考烈王(こうれつおう)。かなりイカつい見た目でしたね。その後にこの考烈王は春申君(しゅんしんくん)の子供を宿したとされる李園の妹を后(きさき)にしたことで、春申君に危険が及びました。子供を残さないといけない王の宿命は重たいものですね。#キングダム pic.twitter.com/77DKYRmd7f
— comic-search (@search_comic) January 4, 2020
史実での春申君
キングダムの作者である原康久先生は、できれば春申君の登場場面を増やしたかったと話しています。
しかし、キングダムの見せ場は、その迫力ある戦闘シーンにあるので、楚国の政治家の活躍の場面は多く与えられませんでした。
ただし春申君は、若い美青年として描かれているので、その点は読者の目を引いたことは間違い無いでしょう。
キングダムと史実との違い
キングダムでは、李牧をより目立たせるために、春申君は粗暴で軽薄なキャラクターになってしまったそうです。
史記上では、合従軍の戦いは全て春申君が指揮を取り、李牧は一切関わっていなかったそうです。
しかし、これからも出番や活躍が多い李牧を強く印象付けるため、春申君は横から口を挟むイライラした宰相という立ち位置になってしまいました。
数多くの食客を抱え、優秀な要人と接してきた史実上の春申君は、合従軍が劣勢になったからといってあんなに取り乱しはしないでしょう。
まとめ
出番は少なかったですが、春秋戦国時代に大活躍した春申君についてまとめてみましたがいかがだったでしょうか。
李牧の引き立て役として登場しなかったら、もっと威厳のあるキャラクターになっていたかもしれませんね。
実際、春申君が亡くなってしまってから、国政を上手くコントロール出来るものがいなくなってしまいました。
大国楚は、春申君が亡くなった、わずか15年後に秦によって滅ぼされてしまいます。
「キングダム」では、宰相の座に媧燐と李園が着任することになりましたが、今後の楚の動向に目が離せないですね。
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