【キングダム】著雍戦で王賁の作戦とは?紫伯との戦いについても

この記事ではキングダムの35巻~37巻の内容にあたる、著雍戦(ちょようせん)を振り返っていきます。

いち早く魏軍の布陣の小さな弱点に気付き、その弱点を攻める作戦を立てた王賁(おうほん)。

魏国最強の槍の名手であり、優れた戦術眼を持つ紫伯(しはく)と、こちらも槍の名手、王賁との一騎打ちについて解説していきます。

王賁が気付いた魏国の弱点を攻める作戦とは?紫伯との決戦の行方は?

また、王賁とはどのような人物なのかについても解説しています。

 

【キングダム】著雍戦で王賁の作戦とは?

 

 

著雍戦とは?

まず著雍戦について解説します。

2年前の楚・趙・魏・韓・燕5国合従軍の侵攻で、合従軍の実権を握っていた李牧と春申君は山陽こそ取り戻すことには至らなかったが、その後の秦が中華に進出することが難しくなるように、国境の形を変化させていました。

その結果、山陽の先に存在する著雍という都市が 、秦の中華進出を妨げていました。

中華進出を実現するため、秦は騰を大将とした軍で著雍を奪取するために、一帯の侵攻を開始。

この李牧も春申君も、敵だけど頭良いからタダでは帰らないんですよね~。

 

王賁の作戦の内容

次に、王賁が著雍戦にて立てた作戦の内容を解説していきます。

王賁は著雍の戦いの前に、完璧に見える魏軍の布陣にかすかに浮かび上がる弱点に気付いていました。その弱点とは、布陣の中に数多く存在している遮蔽物により伝達が遅れ、伝達が遅れるということは援軍の要請も遅れる、そのような場所が3か所あることを発見していました。

そのことにいち早く気付いた王賁は、軍の大将である騰に進言し、その3か所を信が率いる飛信隊、王賁自ら率いる玉鳳隊、今は亡き王騎の第1軍団長を務めていた録嗚未率いる録嗚未隊の3隊で同時に突破し、そのままの勢いで本陣を落とすという作戦を考えました。

「三軍同日同国撃破」という作戦です。

この弱点に気付くだけでもすごいのに、本当に実現させる王賁はさすがですよね。

 


紫伯との戦いについても

紫伯との戦いとは

 

王賁率いる玉鳳隊は1日目から快進撃を続けていました。

著雍での戦いが2日目に入ったときも、玉鳳隊は好調に敵を押して、魏の予備隊に迫りましたが、そこに立ち塞がったのが魏火竜七師の紫伯でした。

紫伯は槍の名手でもあり、戦術眼も優れた将軍。

たちまち紫伯の戦略に圧倒され、玉鳳隊は後退し始めました。

その殿を務めたのは同じく槍の使い手・王賁でした。

しかし、相手は魏火竜七師の一人、紫伯。

初めて相対した王賁は圧倒され、後退を余儀なくされましたが、その紫伯との戦いの際に、紫伯の槍を観察し、次の機会に必ず討つ!と心に決めて、後退しました。

ここでの王賁の行動もかっこいいですよね。
ふつう戦いながら相手の槍の動きを観察出来ますかね?

 

紫伯の弱点

王賁は紫伯との戦いの中で、紫伯の「弱点」を見出しました。

それは、「生を拒絶している人間」ということでした。

王賁は紫伯との戦いの中で、心の空洞感のようなものを感じ取り、更に観察をしていました。

そこであることに気が付きました。

紫伯は戦いの中にあれば「急所を守る」という、誰しも人間なら本能的に持っているはずの本能が紫伯には感じ取れなかったのです。

急所を守らずに戦うってどういう心境なんでしょうね?
よほど強くない限り、こういうことにならないですよね。

 

紫伯との戦いの結末

王賁は紫伯との戦いの中で、自分との「槍の質」の違いに気付きました。

それは紫伯は「一撃で敵を屠る”力”を求めた槍」に対し、王賁は「一点を貫く”正確さ”を求めた槍」と、そもそもが質が違うということでした。

そして、先述しました紫伯の「弱点」である「生を拒絶している人間」を突き、自分の正確さを求めた槍で紫伯の急所を貫き、見事紫伯を討つことが出来ました。

著雍での戦いでの大きな武功、魏火龍七師の一人を討ち取るという功績が認められ、王賁は正式に五千人将に任命されることとなりました。

ま~、秦でいえば六大将軍、趙でいえば三大天。

それに並ぶ、魏の魏火竜七師の一人を討ったとなると、当然の結果ですよね。

 

王賁の人物像


引用:ピクシブ百科事典

王賁の生い立ち

王賁は、秦国大将軍・蒙驁の右腕でである、副将の王翦将軍を父に持って生まれました。

幼少期より軍事教育を受けたエリートのみで構成されている「玉鳳隊」の隊長を務め、一見、エリートであることを見せつけ、信とたびたび衝突していますが、もともとかなりの努力家で、鍛錬を重ねて積み上げてきたからこそ、あの自信に繋がっているのだと思います。

また、父である王翦との関係性についても解説します。

王賁は、王一族の現当主である王翦の息子であったが、王翦の子供だという確信がないまま幼少期を過ごしました。王賁の母は何も語ることはなく、王賁を出産後、そのまま息を引き取ってしまいました。

そのため、王翦からしてみれば、王賁は「王一族の血」を引いていない、それどころか、愛する妻の命を奪った存在という事になります。

これが関係しているかは不明ですが、2人は父子としてあまり関わる事がありませんでした。 

しかし、数少ない会話の際に、父王翦から槍の型についてアドバイスされ、その日から王賁は日々槍の鍛錬を積むようになっていきました。

この話、すごく良いですよね。

誰でも普段からそんなに話もしていない人でも、アドバイスをもらえると嬉しいものです。

 

信や蒙恬との関係

王賁はキングダムの主人公である信と百人将の時に出会いました。

王賁自身は元々エリート、しかし信に至っては下人の出であることを知り、最初は見下すことが多く、たびたび衝突を繰り返していました。

しかし、同じ同世代として武功を競い合い、どちらが先に将軍になるかなどでぶつかり合っているうちに、お互いの事を認め合うようになっていきました。

 

また秦国・大将軍である蒙驁を祖父に持ち、秦国の巨大勢力・呂不韋の四柱の一人である蒙武将軍を父に持つ蒙恬は、同年代の武官として登場しました。

性格はお気楽そのものでやる気を出すことはあまりないが、蒙恬率いる楽華隊の戦術や武勇は非常に優れており、蒙恬自身は剣術に長けています。

王賁、蒙恬、信の3名は百人将の時に出会った間柄でもあります。

このようなライバル関係があったからこそ、切磋琢磨して自分を磨いていける環境が出来ていったんでしょうね。

 


まとめ

この記事では、王賁が著雍戦にて立てた作戦や、王賁の生い立ち、信たちとの間柄について解説しました。

一見、エリートで鼻持ちならない雰囲気を醸し出している王賁ですが、「人に歴史あり」という言葉のように、密かに努力家であったり、複雑な環境で育ってきたことが分かりましたね。

このような一人一人に濃いエピソードがあり、それを表現している「キングダム」という作品はやはり凄いと思います。

3人のさらなる活躍に一読者として期待したいですね。

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