呂不韋は国盗りの最初の賭けをするために、自分の愛した人を差し出すのも惜しくなかったのでしょう。
呂不韋は、嬴政を陥れるため後宮の太后と密会しました。
しかし変わり果ててしまった太后に落胆し、後宮への出入りは危険であると判断した呂不韋は、嫪毐(ろうあい)を太后に紹介することにしました。
下品な芸をするしか能がなく、パッとしない嫪毐はなぜ太后と国を興したのでしょうか。
ここだけの話し、キングダムの嫪毐(ロウアイ)ばりに号泣しちまった😭 pic.twitter.com/Cu49JSLXJq
— 👹狂暴阿修羅系オルド👹◢⁴⁶屈強ナ体格ヲシタ色黒ハーフ漢 (@Ordo100beasts) December 31, 2021
太后の子どもの処分
太后の子供たちは、史実上では処刑されましたが、キングダムでは嬴政が匿ってくれたそうです。
嬴政は罪の元凶である二人の子供を、表向きは処刑すると発表しなければならなかったので、太后は泣き叫び嬴政をののしりました。
その後嬴政は、幽閉され絶望に打ちひしがれる太后に、子供たちの無事を知らせました。
太后が声を発せず静かに震えたのが印象的でした。
太后の処分
キングダムの舞台である中国春秋時代は、儒教の教えが強く、両親を殺してしまうことは禁じられていました。
そのため、太后は雍城へ幽閉されることになり、食べ物も喉を通らず苦しみの中過ごしました。
愛する人も殺され絶望の中にあった太后が、その後子供たちと一緒に過ごせて幸せな日々を生きられたのでしょうか…。
まとめ
波乱の人生を駆け抜けた、嬴政の母である太后についてまとめましたがいかがだったでしょうか。
太后はその苦境の辛さを幼い嬴政にぶつけて来ましたが、彼を産んで育てたことがどれだけ大変だったか伺えます。
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