エルヴィスプレスリーの凄さとは?死因やメディアの反応についても

映画「エルヴィス」が上映されていますね。

「世界史上最も売れたソロアーティスト」「キング・オブ・ロックンロール」などと言われるエルヴィスプレスリー。

名前しか知らない、またはネタでしか知らない人も多いかもしれません。しかしエルビスは後のミュージシャンに多大な影響を与えた偉大なアーティストでした。

ファンの中には死亡を受け入れられない人もいるくらい人気だったエルビスは何がすごかったのか、42歳の若さで亡くなった死因は何だったのかなど、謎の多いスーパースターについてリサーチしました。

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エルヴィス・プレスリーの凄さとは?

 

 

エルヴィス・プレスリーのプロフィール

出生名 エルヴィス・アーロン・プレスリー
誕生日 1935年1月8日
没年 1977年8月16日(42歳)
出身 アメリカ合衆国テネシー州メンフィス
身長 182cm
趣味 バッジ収集

 

エルヴィス・プレスリーの与えた影響

 

エルヴィスが画期的だったのは、白人社会ではほとんど知られていなかった黒人音楽を白人社会に紹介したことでしょう。

それは、彼の生い立ちが影響しています。

エルヴィスが生まれたのは1935年。1929年に起きた大恐慌の後で、プレスリー家は深刻な経済不況の影響を受けていました。

エルヴィスの父は小切手を偽造して現金化しようとしたとして3年の懲役を言い渡され、8か月後に釈放されましたが、その間にプレスリーの一家は家を失い避難所生活をしなくてはなりませんでした。

エルヴィスが13歳の時に一家はテネシー州メンフィスへと引っ越しました。そこは貧しい黒人の労働者階級が多く、黒人の音楽を聴いて育ちます。

エリス公会堂のゴスペルのショーも欠かさずに観に行っていて、このことが後のプレスリーの音楽性に大きな影響を与えました。

黒人と白人社会が分断されていた時代に、白人歌手が黒人音楽のR&B(リズムアンドブルース)を歌うことでの軋轢はありましたが、ラジオで流されたレコードを聴いた若者から噂が広まり、エルヴィスの音楽は瞬く間に広がっていくのです。

ライブやテレビで放送されるようになると、今までの白人歌手とは全く違う体全体で歌うパフォーマンスが若者に受けますが、大人からは子供たちに悪影響を及ぼすと非難が多くありました。

エルヴィスはキング・オブ・ロックンロールの称号を受けていますが、その音楽はのちのロックにつながるロックンロールやもともと黒人音楽であるR&Bやブルース、当時白人が歌っていたカントリー&ウエスタンなどを融合させたもので、ロカビリーとも言われています。

白人の若者に広まった彼の歌は、保守的なアメリカ社会の構造を変化させるきっかけになりました。

 

ここからは後のミュージシャンに与えた影響を見ていきます。

エルヴィスの影響を受けたミュージシャンはたくさんいます。

ジョン・レノン、ボブ・ディラン、ポール・マッカートニー、ボブ・シーガー、フレディ・マーキュリー、テリー・スタッフォードなど。

これらのミュージシャンはみんなプレスリーにあこがれていたそうです。

 

エルトン・ジョンは、「エルヴィス・プレスリー私の人生を変えた、そしてみんなの人生を変えた。エルヴィスがいなければビートルズもヘンドリックスもボブ・ディランもいなかっただろう」と言っていました。

 

 

エルヴィスの凄さとは?

エルヴィスは時代の反逆児のように言われていましたが、実際は敬虔なクリスチャンであり、家族への愛を公に表し、誰に対しても礼儀正しく謙虚でした。

特別扱いを嫌い兵役をやり遂げ、のちに悪徳プロデューサーと言われるトム・パーカーに感謝し、淡々と歌手である自分の仕事をやり続けました。

映画にも出てきましたが、海外公演に行かなかったのは、移民であるトム・パーカーがアメリカの永住権を所持していなかったので、アメリカ国外へ出国すると再入国を許されない事態になるかもしれず、それを恐れたせいだったそうです。

海外公演をしていたらどうなっていたでしょうか。もっと伝説が増えていたかもしれませんね。

1年におよそ125回のペースでコンサートを行い、死の2か月前の最後のコンサートに至るまですべてのコンサートのチケットを完売し、決して手抜きせずに全身全霊で歌い続けたことが本当にすごいと思えます。

 


死因や最後の様子についても

エルヴィスの死因

エルヴィスの死因はいろいろな説があります。公式発表は「処方薬の濫用と不整脈」が原因ということになっています。

しかしイギリスのテレビ番組では、心筋の遺伝性の病気によるものだったと結論付けていました。

他にも過食症や薬物乱用、心臓発作などの説があります。

いずれにせよ死亡する前のエルヴィスは精神的にも肉体的にも生きることがぎりぎりの状態だったようですね。

よくステージをこなせたものだと驚きます。

 

最後のコンサート

エルヴィス1977年6月26日にインディアナ州インディアナポリスにある「マーケット・スクエア・アリーナ」でライヴ・コンサートを行いました。18,000人の観客が集まったそうです。

これはツアーの最終コンサートであり彼の生涯最後のコンサートとなりました。

処方薬の過剰摂取で体調は悪そうでした。体重もかなり増えていました。

しかしバンドメンバーやツアークルーに感謝の意を表し、いつものようにコンサートを最後までやり遂げたのです。

メディアの反応

驚くことに当時メディアはエルヴィスの死にほとんど注意を払っていなかったようです。

しかしアメリカ国民、特に南部の人々はエルヴィスの死に反応しました。うわさを聞いた何万もの人たちがメンフィスを目指して歩きだしたのです。

メディアの電話は鳴りっぱなしでその反応の大きさに驚いたそうです。ニューヨークタイムズは死亡記事を用意していなかったのでちょっとしたパニックに陥ったようでした。

プレスリーはずっと人々の心に生き続けていたのですね。


引用:https://www.washingtonpost.com/opinions/elviss-death-was-a-perfect-example-the-media-doesnt-understand-middle-america/2017/08/15/2012d268-8123-11e7-b359-15a3617c767b_story.html?utm_term=.55c5f8017291

まとめ

映画「エルヴィス」をきっかけに、エルヴィス・プレスリーが見直されています。

この記事ではエルヴィス・プレスリーについて、その人柄や死因、のちのミュージシャンに与えた影響などを見てきました。

来日しなかったことと42歳で亡くなったのが惜しまれますね。

 

くまた
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