江利チエミさんは、美空ひばりさん、雪村いずみさんと共に三人娘と言われ、昭和期に活躍しました。
テネシーワルツを歌ったことで有名ですが、どんな方だったのでしょう?
こちらでは江利チエミさんについて、その人生や家族、異父姉による横領事件や夫だった高倉健さんとの関係についても見ていきます。
目次
江利チエミはどんな人で家族は?
江利チエミのプロフィール
昭和の歌姫がテーマで江利チエミさんも特集されてる。うれしい。 pic.twitter.com/1lTlDu1eW2
— ほんにゃら商事 (@bed_sitter) December 5, 2021
江利チエミ(えり チエミ)は、1937年東京生まれ。昭和期に活躍した歌手・女優・タレントで、本名は久保 智恵美(くぼ ちえみ)です。
音楽家の父と舞台女優の母との間に3男1女の末娘として生まれました。
父は独学で音楽を学び、吉本所属の大スター、柳家三亀松(三味線漫談)の相三味線やピアノ伴奏を務めましたが、柳家三亀松とはのちに喧嘩別れをして失職してしまいました。
母は東京少女歌劇出身の女優でしたが、身体を壊して寝たり起きたりの生活をしていました。
長兄は陸軍士官学校出身のエリートでしたが、戦後は職を失いました。
江利チエミさんは家族を支えるため12歳のころから芸能活動を始めました。父がマネージャー、長兄が付き人だったそうです。
進駐軍のキャンプまわりの仕事で進駐軍のアイドルとなり、愛称は「エリー」となりました。芸名の江利チエミはこの「エリー」から母が名づけたそうです。あるとき進駐軍兵士のケネス・ボイドから「テネシーワルツ」のレコードをプレゼントされ、この曲を自分のデビュー曲と心に決めたそうです。
15歳の時にテネシーワルツでデビュー
レコード会社のオーディションに失敗するもなんとかキングレコードにパスし、1952年に「テネシーワルツ/家へおいでよ」で15歳でレコードデビューを果たしました。
お母さまはチエミさんのデビューを待たずにに他界したそうです。同じ年に初主演映画の『猛獣使いの少女』にも出演しました。
1953年には若干16歳でアメリカやハワイでの公演を成功させました。その後、美空ひばり・雪村いづみとともに「三人娘」と呼ばれ、一世を風靡しました。
番組の中で中村メイコさんや服部克久さんもおっしゃっていましたが、進駐軍のキャンプまわりの仕事をしていたことから、英語をメロディーに乗せることが非常にうまく、この時代の歌手として右に出るものがいないくらいの実力の持ち主でした。
サザエさんシリーズでも人気に
1956年より映画の「サザエさん」シリーズが人気になり、後にテレビドラマ、舞台化もされました。
【和製ロック草創期①】江利チエミ 生年月日不明 pic.twitter.com/mig1IzNA8d
— ファボーちゃん🐸 (@favoyasan) June 8, 2021
姉の横領事件や高倉健とのエピソード
江利チエミさんは高倉健さんと映画で共演したことから知り合いになり、3年後の1959年に結婚しました。高倉さんがが28歳、チエミさんが22歳の時でした。
結婚生活は、高倉さんがほとんど家に帰ってこないこともあり楽しいものではなかったようです。チエミさんは寂しさを紛らわすために毎晩お酒を飲むようになりました。
亡くなった時もお酒を飲んでいて、酔って寝てしまい吐瀉物を喉に詰まらせたことが原因の一つのようです。
チエミさんは子どもを授かったこともありましたが、妊娠中毒症にかかり中絶を余儀なくされました。
異父姉による横領事件
チエミさんのお母さんは、東京少女歌劇時代に座長と一度結婚していて娘を出産したものの手放していました。異父姉は、当時歌手として有名になっていたチエミさんのことを知り、楽屋に訪ねてきたそうです。
その時にチエミさんは母にそっくりなその顔に驚き、離婚して大変という異父姉の話に同情して、一緒に住むように誘ったのでした。
姉妹と言うことで気を許したのでしょうか、チエミさんは異父姉に会社のことを任せるまでになり、実印を渡してしまったそうです。
その後しばらくして、銀行から引き落としができない、という電話をもらい調べたところ、家にある宝石類や装飾品、銀行のお金、不動産までが横領され、その被害総額は2億とも3億ともなっていたそうです。
チエミさんは夫の高倉さんに迷惑をかけてはならないと、離婚を申し入れました。その後破産宣告はせずに、数年かけて数億に及んだ借財と抵当にとられた実家などを取り戻しました。
どんな仕事も引き受けてがむしゃらに働いたそうです。
離婚後復縁を打診していた
離婚をした後で、チエミさんは高倉健さんに復縁を頼んだことがあったそうです。そのことがこちらの記事にありました。
それによると、「健さん、もう一度、一緒になれないかしら」とチエミさんが電話で言ってきたことがあったそうです。それに対し高倉さんは「一度別れるって新聞で発表したんだから、いまさら戻るわけにはいかんだろう」と断ったという事です。
そして、「おまえがいくら謝っても……。もっと……もっと早くに、なんでそう考えなかったんだ。こうなった以上は、もう一緒になれない。戻れない」と電話で言っていたそうです。切ないですね。
チエミさんは1982年に45歳で亡くなります。
港区高輪の自宅マンションの寝室のベッド上で、うつ伏せの状態で吐いて倒れているのをマネージャーに発見され、死亡が確認されました。死因は脳卒中と、吐瀉物が気管に詰まっての窒息によるものだったそうです。
歌手や女優の経歴について
江利チエミさんは数々のヒット曲を生み出しましたが、その中から人気ランキング上位曲を挙げてみます。(レコチョクの人気ランキングより)
多くの方に聞かれ続けてきた楽曲ですね。デビューシングルの「テネシーワルツ」は23万枚の大ヒットだったそうです。
この時代はクラシック音楽以外の全ての海外の音楽を「ジャズ」と呼んでいたそうです。江利チエミさんはジャズを日本に広げた第一人者となったのでした。
酒場にて
テネシー・ワルツ
わたしの人生
誰もいないとき
ひとり泣く夜のワルツ
おてもやん(熊本県民謡)
真室川音頭(山形県民謡)
奴さん
虹の彼方に時計(エル・ロッホ)
ダニー・ボーイ
アンチェイン・マイ・ハート
主な映画出演作品
1955年『ジャンケン娘』
1955年『チエミ海を渡る』
1956年~ 『サザエさん』1956年『チエミの婦人靴』
1957年『ジャズ娘誕生』(石原裕次郎・共演)
1960年『唄祭りロマンス道中』(渥美清・共演)
1960年『ふんどし医者』
1962年『ちいさこべ』(東映)京都市民映画祭で優秀助演女優賞を獲得
歌謡ショー・クイズ番組にも出演
1965年 TBS『チエミ大いに歌う』がワンマンショーの先駆けとなりました。
1969年 「連想ゲーム」(NHK総合):2代目紅軍キャプテン
1970年 – 1972年 「奥さん!2時です」(12CH):初代メイン司会
1979年 「象印クイズ ヒントでピント」(テレビ朝日):女性軍初代1枠キャプテン
江利チエミを題材にした作品
1989年 『美空ひばり物語』で松居直美さんが演じました。
2005年 – 2007年 『テネシー・ワルツ -江利チエミ物語-』で島田歌穂さんが演じました。
まとめ
歌手・女優の江利チエミさんについてまとめました。
若くして亡くなってしまって残念ですが、天国で高倉健さんと仲良くされているといいと思います。
笠置シヅ子さんについての記事はこちらです。
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