コヘレトの言葉3「時の詩」を考察!コロナ禍の不条理の中で生きる意味とは?

「こころの時代~宗教・人生~ それでも生きる~旧約聖書・コヘレトの言葉(3)」では、コヘレトの言葉の3章「時の詩」を取り上げていました。

コヘレトは、「時」についてどのように書いているのか、牧師の小友聡(おとも さとし)さんと、若松英輔(わかまつ えいすけ)さんの対談から見ていきたいと思います。

 

 

コヘレトの言葉3「時の詩」を考察!

今回取り上げるコヘレトの言葉3章「時の詩」は、アメリカ大統領になったバイデン氏が11月7日の勝利演説で引用し、アメリカは今「癒しのときだ」と述べていました。

コヘレトの言葉・3章「時の詩」より

天の下では
全てに時機があり
全ての出来事に時がある

生まれるに時があり
死ぬに時がある

植えるに時があり
抜くに時がある

殺すに時があり
癒すに時がある

壊すに時があり
建てるに時がある

泣くに時があり
笑うに時がある

嘆くに時があり
踊るに時がある

石を投げるに時があり
石を集めるに時がある

抱く(いだく)に時があり
ほどくに時がある

求めるに時があり
失うに時がある

保つに時があり
放つに時がある

裂くに時があり
縫うに時がある

黙すに時があり
語るに時がある

愛するに時があり
憎むに時がある

戦いの時があり
平和の時がある

人が労苦したところで
何の益があろうか

私は神が人の子らに苦労させるよう
与えた務めを見た

 

最後に「神が人の子らに苦労させるよう与えた務めを見た」とあります。

人生にはこれでもかこれでもかという苦難の時があります。

その中で「時」をキーワードに、生きる意味を考えようというのが今回のテーマでした。

キーワードは「時」

今回のキーワードは「時」です。

コヘレトの言う時は、「時間」(クロノス)の意味ではなく、「刻」(カイロス)の意味で、計れる時間とは違い、一瞬でもあり永遠でもあるのだそうです。

時間は横軸に流れていくもの、それに対し「刻」は縦軸で深く浸透するものと考えられます。

ヘブライ語で「永遠」はオーラームといい、「隠される」と言う意味だそうです。

生きる時、死ぬ時などは神が決定するものであり、神によって「隠されている」と考えられます。

人間が決めることができない死をコヘレトは常に見つめ、そこから生きることの意味を考えているようです。

 

不条理の中で生きるということ

生きることはともすれば不条理です。

正しい行いをするものが正しく扱われるかというとそんなことはありません。

コヘレトの言葉(1)(2)でもこのテーマが出てきましたが、不条理の中で「それでも生きる」のが人生です。

シリーズの(3)では、「私たちは人生を問うべきではなく、人生に問われている、それに答えるのが人生」だ、とヨブ記とフランクルの例を挙げて説明していました。

ヨブ

ヨブ記のヨブは、神を敬い、悪を遠ざけ、定期的に贖罪のいけにえをささげるほど敬虔な人物でした。

しかしヨブはサタンに疑いをかけられ、ありとあらゆる苦難を経験することになります。

ヨブは神に「正しい生活をしていたのになぜ苦難に遭わなければならないのか」という質問をするのですが、神は質問には答えません。

神が人知を超える圧倒的な存在であり、神がすることの理由を考えていたいた思い上がりを恥じ、ヨブが悔い改めたときに全てが変わります。

 

ヴィクトール・フランクル

フランクルは、アウシュヴィッツの強制収容所に入れられ、極限状態を生き延びたユダヤ人精神科医です。

極限状態で「私は生きることから何を期待できるだろう」ではなく、「生きることがは私に何を期待しているのかが問題なのだ」と考えを転換したそうです。

そして、フランクルは「そのことを学び、絶望している人間に伝えなければならない」と作品『夜と霧』の中で述べています。

コロナ禍で生きる意味

多くの人が出会う人生での不条理ですが、答えを誰かから与えてもらうことはできない、と知った時が、物事が動き出す「刻」なのでしょう。

フランクリンは「人生が私たちに問うている、その問いに答える責任がある」と言い、さらに「絶望している人間に自分の学びを伝えなければならない」と言っています。

この対談は4月に始まり、コロナの影響で数か月の休みを経て再開されました。

コロナ禍のこの時期に「コヘレトの言葉」について語られることに不思議な意味を感じます。

この時期、多くの人が不条理を感じています。

コロナ禍で制限された生活を余儀なくされたり、環境が激変したり、「何も悪いことをしていないのになぜ」と感じることも多いでしょう。

苦しくて動けなくなってしまうこともあるかもしれません。

コヘレトは苦しさで動けない人に寄り添い、「それでも生きる」ことを提言しているようです。

自ら生まれるときや死ぬ時を決められずに「生かされている」私たち。

自分が生かされている意味を考えながらどんな状況にあっても生きていくことが私たちの務めなのでしょう。

コヘレトの言葉の中でさらに印象的なのは以下です。

百度も悪を重ねながら
生きながらえる罪人がいる

しかし私は知っている

神を畏れる人々は、神を畏れるからこそ幸せがあると
悪しき者には、神を畏れることがないゆえに幸せはない

 

ここから分かるのは、神への畏敬の念を忘れて、自分が神の領域に踏み込んでしまう人間の愚かさです。

神を畏れることがない人間は生きながらえても幸せではない、とコヘレトははっきり言っています。

 

まとめ

NHKで放送された「こころの時代~宗教・人生~ それでも生きる~旧約聖書・コヘレトの言葉(3)」の内容を見てきました。

このシリーズは全6回だそうです。

次回も楽しみですね。

今までの放送についてはこちらに書いています ↓

NHKこころの時代・「コヘレトの言葉」を解説!辛さ・苦しみの中でも生きる意味とは?

NHKこころの時代・コヘレトの言葉2の「空」を考察!苦しくても生きる意味とは?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です