この記事では「風立ちぬ」のヒロイン菜穂子と菜穂子の最後のセリフ「生きて」の真意、そして二郎の「ありがとう」に込められた意味と想いについて深掘りしたいと思います。
2013年に公開されたスタジオジブリ【風立ちぬ】。宮崎駿監督が、自身の映画を観て初めて涙した作品としても有名です。
【風立ちぬ】の舞台は関東大震災や戦争などの革命とファシズム、モダニズムとニヒリズムなどの快楽主義が交わる激動の時代の日本。
激動の時代を生きた実在した人物、零戦の設計者である堀越二郎と文学者の堀辰雄の2人を1人の人物の二郎として描いた作品です。
では、菜穂子の最後のセリフ「生きて」について見ていきます。
目次
【 風立ちぬ】菜穂子の最後のセリフ「生きて」の意味は?
「風立ちぬ」の最後のシーンで菜穂子は二郎に「生きて」と伝えます。このセリフの真意を考察したいと思います。
風立ちぬで菜穂子とは?
1923年、関東大震災が発生し、二郎は同じ列車に乗り合わせていた、少女と少女の女中を助けます。
この時の少女が里見菜穂子です。
歳月が経ち、菜穂子は大人になりました。
そして軽井沢で二郎と再会します。
この時すでに菜穂子は結核を患っていました。当時、結核はワクチンもなく治療法もサナトリウム療法という大気安静療法くらいしかありませんでした。
菜穂子は軽井沢で二郎と空を見上げて、「生きてるって素敵ですね。」と言います。
菜穂子は結核を患い、自身の命の時間には限りがあることと同時に二郎といる時間が大切でとても愛おしく感じたのでしょう。
二郎は菜穂子にプロポーズをし、菜穂子もプロポーズを受けます。
結核を患い、子どもも作れない、残されている時間も短い。それでも菜穂子は愛しい人の側にいたい、支えたいと思ったのでしょう。
菜穂子の病状は悪化するばかりでした。
それでも菜穂子は化粧をし、最古まで愛しい人の前で女として美しくありたいと思っていたに違いありません。
菜穂子は自分の死期が近いと感じていたのでしょう。
二郎の作った飛行機が初飛行を行う日、菜穂子は二郎を見送ると黒川夫妻宛、二郎の妹加代宛、そして二郎へ手紙を残し、下宿先の黒川邸を立ち去ります。
宮崎駿監督は里見菜穂子の声優を務めた女優の瀧本美織にこのようにもアドバイスをしています。
「昔の人は生き方が潔いのだよ。必死に生きようともがく感じではなく、与えられた時間を精一杯生きているイメージで演じて欲しい」
菜穂子は結核と自身の死を受け入れていたのだと思います。だからこそ、自身の残された時間を一番愛しい二郎に捧げ、美しい姿のままで、少しでも側にいたいと願った芯の強い女性だったと思います。
「生きて」のセリフ
菜穂子が置き手紙を残して姿を消してから数年後、日本は戦争に負け、焦土になってしまいます。二郎の作った飛行機は一機も戻ってきませんでした。
打ちひしがれる二郎は夢の中で草原にいます。そこへ二郎を飛行機の設計者として導いたカプローニが現れます。
そして光の中から菜穂子が現れ二郎は菜穂子と再会します。
菜穂子は二郎に「生きて」という言葉を残します。
「生きて」の意味
菜穂子は最後のシーンで二郎に向けて「生きて」と言います。
愛しい人も失い、戦争にも負け、自身の設計した飛行機も失い、二郎は何もかも失っていました。
二郎には生きる顧望さえ持てなかったと思います。
菜穂子はただ、純粋に二郎に生きていて欲しかったのだと思います。
生前、菜穂子は「生きてるって素敵ですね。」という言葉を呟きました。
二郎が生きている限り、菜穂子は二郎にの中の風として二郎の心の中に生きていて欲しいと筆者は思います。
「来て」が「生きて」になったいきさつ
当初、宮崎駿監督の考えた【風立ちぬ】のラストは違うものでした。
鈴木プロデューサーのインタビューによると
「宮さんの考えた【風立ちぬ】の最後って違っていたんですよ。3人共死んでいるんです。それで最後『生きて』っていうでしょう。あれ、最初は『来て』だったんです。これ、悩んだんですよ。つまりカプローニは死んでいて煉獄にいるんですよ」
「風立ちぬ」の菜穂子のセリフが「来て」から」「生きて」の変更については、宮崎駿監督と二郎の声優を務めた庵野秀明では相当話し合いをしたようです。
庵野秀明のインタビューより
そのセリフ(来て)のままだと、死んで終わりみたいになっちゃうんです。ポニョと同じなんです。それでなんじゃこりゃ〜と思ったんです。ポニョという作品で、あのラストはいいんだけど、今回もそれを続けると厳しいなと思っていたんです。違う答えを出すと思っていたんですが、また一緒かとか感じてしまって。最終的に(宮崎駿監督が)自分で這い上がって、生きていく方向になったので、それはすごく嬉しかったですね。
確かに全員死んでしまっていてはキャッチコピーの『生きねば』も成立しなかったと思います。
二郎の「ありがとう」の意味についても
二郎は最後に掠れた声でありがとう。」と言います。この「ありがとう」に込められた想いを考察します。
二郎が「ありがとう」と言ったのはなぜ?
「風が吹いている、まだ生きることを試みなければならない。」と二郎は言います。
二郎は最愛の人を失い、自分の作った飛行機は人を殺めるための戦闘機であり、そして一機も戻ってくることはありませんでした。二郎は生きる希望を失いかけていたのかもしれません。
しかし、菜穂子は二郎の夢出て会いに来てくれました。そして「生きて」と二郎に伝えました。
二郎の中の風はまた吹き始めたのです。
先に逝ってしまった菜穂子に向けて「ありがとう」と言ったのでしょう。
会いに来てくれて「ありがとう」。今まで側にいてくれて「ありがとう」。這い上がらなければ、まだ『生きねば』と思わせてくれて「ありがとう」だったのもしれません。
主題歌「ひこうき雲」についても考察
「風立ちぬ」の主題歌は 1973年にリリースされた松任谷由実さんの「ひこうき雲」です。
「風立ちぬ」の主題歌「ひこうき雲」の歌詞はこちらからご覧になれます。
ひこうき雲の歌詞の「あの子」が菜穂子そのもののような気がします。
空に憧れ、空をかけていた二郎。
菜穂子は二郎を想い空を眺め飛行機を追っていたのではないでしょうか。最後は二郎を想うだけでも幸せだったのかもしれません。
まとめ
この記事では菜穂子のセリフ「生きて」の真意について、そして二郎の「ありがとう」に込められた想いと、主題歌「ひこうき雲」についても考察してきました。
菜穂子は二郎に生きるための風を吹かせてくれてました。そして二郎は生きる意味を取り戻しました。
人はどんな時でも希望は捨てず、その時をただただ精一杯生きなければいけないと感じさせる作品だと感じました。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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