【エール】大阪タイガースの掛田寅男役は誰?掛布雅之の経歴や六甲おろしについても

6月22日のエールでは、スピンオフ回をはさむ前の放送から5年後の設定となり、裕一は安定した作曲家生活を送っています。

裕一は大阪タイガース(現・阪神タイガース)の掛田寅男(かけだとらお)に頼まれて、球団歌の「六甲おろし」を作曲するのでした。

掛田寅男を演じていたのは誰なのでしょう?

 

【エール】大阪タイガースの掛田寅男役は誰?

掛田寅雄を演じていたのは、元プロ野球選手の掛布雅之(かけふまさゆき)さんです。

こんなツイートも ↓ ↓

掛布雅之の経歴

掛布さんは、1955年生まれ、新潟県出身千葉県育ちで、現在は大阪府豊中市在住です。

元プロ野球選手であり、野球解説者・評論家、指導者、タレントの経歴もあります。

2020年からは、阪神球団の親会社・阪神電気鉄道が新設した特別職「HANSHIN LEGEND TELLER」(ハンシン・レジェンド・テラー 略称:HLT)に就いているそうです。

掛布さんは阪神タイガースでの活躍から、阪神ファンやメディアの間で「4代目(あるいは3代目)ミスタータイガース」と呼ばれています。

ちなみに歴代のミスタータイガースとは、藤村富美男、村山実、田淵幸一、そのあとが掛布と言われています。田淵を抜かすこともあり、その場合、掛布は3代目となります。

野球選手としての経歴

掛布さんは幼少期には剣道を習っていたこともありますが、お父さんが地元の学校で野球を教えていたことから野球を始め、高校時代にはプロ野球選手を目指していたそうです。

お父さんは千葉県千葉商業学校の教員だった時に硬式野球部の部長と監督を兼務していたそうで、その時の教え子小川善治にヤクルトスワローズ入団を打診しましたが断られたため、他のつてを頼って阪神タイガース入団を決めたそうです。

初めて出場したのは対南海ホークス戦で、ドラフト1位で入団した野崎恒男から代打で安打を放ち、3月21日の対太平洋クラブライオンズ戦では、太平洋のエースだった東尾修(東尾理子の父)から4打数2安打を記録しました。

1976年にベストナインに選ばれ、さらに翌1977年にも大活躍し、応援歌「GO! GO! 掛布」が売り出されました。

選手が打席に入るときに応援歌が歌われるようになったのは、掛布が初めてと言われています。

1979年には、チーム新記録となる48本塁打を放ち本塁打王となりました。

その後も1982年と1984年に本塁打王、1982年には打点王に輝くなど、「ミスタータイガース」として人気を博しました。

1986年に試合中、手首に死球を受けて骨折したのをきっかけに故障が多くなり、1988年に現役引退を表明。

10月10日に阪神甲子園球場でのホーム最終戦で引退試合を行い、たくさんのファンに見送られてグラウンドを去りました。

通算349本塁打の記録を残し、これは阪神の球団最多記録でもあります。

 

「エール」では掛田寅男として、裕一に大阪タイガースの球団歌を依頼し、コロンブスレコードで一緒に六甲おろしを歌っていました。

掛布さんにピッタリの役どころですね。


六甲おろしについて

「六甲おろし」は通称で、本来は「阪神タイガースの歌」と言う名前です。1936年(昭和11年)に作詞・佐藤惣之助、作曲・古関裕而で発表されました。

元は「大阪タイガースの歌」でしたが、1961年(昭和36年)の球団名変更とともに改題されました。

「六甲おろし」は日本で最も古いプロ野球の球団歌です。

歌詞の冒頭に登場する「六甲おろし」の意味は、六甲山付近の下降気流のことで、主に秋から春にかけて阪神間に吹く冷たい風のことです。

当時のプロ野球は2シーズン制を採用していて、シーズン最終戦が12月頃となることから、シーズンを戦い抜いたチームを讃える歌詞であったようです。

ちなみに、大阪人は「六甲おろし」を全部歌える人がほとんどのようです。

六甲おろしの歌詞や意味についてはこちらの記事でも書いています。

掛布の登場を喜ぶSNSの声

SNSでは掛布さんの登場についての投稿が多く見られました。

六甲おろしで1話使ってほしいという声も ↓ ↓


まとめ

今回は、22日放送の「エール」で、大阪タイガースの「六甲おろし」を裕一に依頼した人物・掛田寅雄役の掛布雅之さんや、「六甲おろし」についてのまとめでした。

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