「おちょやん」第14週では昭和7年になり、二代目天海天海の襲名興行から3年の月日が流れました。
ある日、世界の喜劇王チャールズ・チャップリンが来日することになります。
史実ではどうだったのか、お話との違いを見ていきたいと思います。
目次
【おちょやん】チャップリン来日は実話で本当?
チャップリンは、実際に昭和7年(1932年)に来日しています。この時が初来日で、その後3回来日しました。
チャップリンは小泉八雲の書物を読んで日本に興味を持ったそうです。
チャールズ・チャップリン ↓
引用:映画.com
チャップリン来日の実話
チャップリンが実際に日本に来たのは1932年5月14日で、まず神戸港に到着し、数万人の人々に出迎えられました。
その翌日が五・一五事件の日です。
実はその日チャップリンは犬養首相に会うことになっていました。
そして、実際に暗殺指令が出されていたそうです。
しかし当時チャップリンの運転手であり、身の回りの世話をしていた高野虎市の様子がいつもと違い落ち着きがなかったことから、チャップリンは何かを感じ予定を延期して両国国技館で相撲見物に出かけました。
そのために事なきを得ました。もし、予定通りに犬養首相に会い、暗殺されていたら大変なことになっていたでしょう。
犬養首相が暗殺されたことで、チャップリン本人は身の危険を感じ帰国しようと希望しますが、結局6月2日まで日本に滞在しました。
滞在中、歌舞伎座や明治座に足を運び、初代中村吉右衛門、六代目尾上菊五郎、2代目市川左團次の楽屋を訪ねています。
また、新橋演劇場で公演中の曾我廼家五郎(おちょやん・須賀廼家万太郎のモデル)を楽屋に訪ね、2人の握手している写真が残されています。
こちらのブログに、その写真が載っています ↓
http://toursakai.jp/zakki/2019/05/10_3090.html
「おちょやん」でのエピソード
鶴亀株式会社の大山社長は、世界の喜劇王と日本の喜劇王を顔合わせさせようともくろみます。
そこで、鶴亀家庭劇と万太郎一座を一騎打ちさせて、次の公演で客の入りが多いほうの芝居をチャップリンに見てもらおうとします。
そこで一平や千代のいる鶴亀家庭劇でも、万太郎一座に勝つにはどうしたらよいかとすったもんだした挙句に一平と千之助が力を合わせて脚本を書くことになります。
須賀廼家万太郎役の板尾創路(いたおいつじ)さん ↓
引用:映画.com
須賀廼家千之助役の星田英利(ほしだひでとし)さん ↓
引用:映画.com
僅差で万太郎一座が勝ちますが、万太郎は結局チャップリンとは会わずじまいでした。
史実との違い
史実では、チャップリンは須賀廼家万太郎のモデル・曾我廼家五郎に会って写真まで取っています。
「おちょやん」では会わずに終わったので史実と異なります。
14週は、万太郎と千之助の確執がテーマだったので、チャップリンに会うか会わないかはそれほど重要ではなかったのでしょう。
まとめ
喜劇王チャールズ・チャップリンの来日をめぐり、史実と「おちょやん」の違いを見てきました。
チャップリンは来日して、曾我廼家五郎に会っていたことが分かりました。
おちょやんでは須賀廼家万太郎はチャップリンに会っていませんでした。
関連記事:【おちょやん】須賀廼家万太郎のモデルは?喜劇王・曾我廼家五郎の経歴についても
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