コクリコ坂からの時代(昭和)と現代の生活の違いを考察!昭和の学生運動や流行歌手についても



映画『コクリコ坂から』は、1963年(昭和38年)の設定なので、今の暮らしとずいぶん違うところがたくさんあります。

現代との違いや当時の学生生活・流行歌手についても見ていきたいと思います。

コクリコ坂からの時代(昭和)と現代の生活の違いを考察!

スカートの寝押し

メル(松崎海)が朝起きて、布団をたたむと、下に制服のスカートが置かれていました。

これは、寝押しと言って、プリーツスカートのひだが取れないようにするためにやります。

当時のスカートはプリーツが取れない加工などなかったので、寝る前にきちんとひだをたたんで布団の下に置いたものです。

ただ、寝押し寝相の悪い人がやると、変なところにプリーツが付いて、かえってみっともないことになる場合もありました。

現代:今の制服はひだ加工されているので、寝押しをすることもなくなりました。ベッドで寝る人も増えましたしね。

木枠の窓

以前は窓の枠は木で作られていました。カギはねじ式になっていて、メイもくるくる回して開けていましたね。

メルの学校の文化棟カルチェラタン(本当の名前は清涼荘)には下から押し上げる窓が付いていました。私が子どもの頃住んでいた家にもありましたよ。懐かしいです。

現代:今の住宅はほとんどがサッシ窓になりました。気密性が高く、隙間風はなくなりました。

ご飯の炊き方

まず、火をつけるガス台ですが、マッチでつけています。マッチを擦ってから、ガス栓をひねって火をつけます。

火をつけるタイミングが遅いと、「ボッ!」という音がして火が大きく出るので、怖いです。

ご飯は釜で炊いていますね。かまど炊きは電気釜と違って火加減が大事です。

お釜↓

「始めちょろちょろ中ぱっぱ、赤子泣くとも蓋取るな」と言われていました。

最初は弱火、中頃から強火とするのがよい、とされているようです。

炊けたご飯は「朝ごはんの歌」の歌にあるように、おひつに移して余分な水分を取ります。

今でも旅館などに泊まるとおひつに入れたご飯が出てくることがありますね。

おひつ↓

現代:電気炊飯器でご飯を炊いている人がほとんどだと思います。予約機能やお米の種類によって炊き方を変えるなど、機能がたくさんついたのもあります。

手動式脱水機

メルが使っている洗濯機は、ローラーをまわして洗濯物を絞り出す、絞り付き機能の洗濯機でした。

これは1954年(昭和29年)に、三洋電機が発売したものだそうです。

1960年(昭和35年)には、ローラー式に代わって遠心脱水機付2槽式洗濯機が発売されました。

1層式の全自動洗濯機が発売されたのは、1977年(昭和52年)でした。

メルが着ている白い割烹着も昔のお母さんたちはよく着ていました。袖があるので和装でも対応できます。

現代:全自動洗濯機が主流で、乾燥機機能がついているものも多くなりました。

オート三輪

オート三輪は、タイヤが3輪のトラックで、1930年代に流行りました。

日本内燃機は「くろがね」ブランドのオート三輪を主力製品としていて、東洋工業( 現在のマツダ)、ダイハツ工業と並び、日本のオート三輪業界の3大メーカーでした。

お手伝いさんが出勤して来たときに乗っていたのはくろがねのオート三輪でした。米屋のゲンさんが運転して助手席に乗ってきたのです。

オート三輪↓

映画の最後のほうで、俊とメルが小野寺 善雄(海の父と俊の父のかつての親友)に会いに行く場面でも、米屋のゲンさんがちょうどオート三輪に乗ってきたのを捕まえて、港まで送ってもらいました。

現代:3輪トラックは現代では中国の農村やタイなどで今も見られます。

低価格で小回りが利くからでしょう。タイではトゥクトゥクのような3輪タクシーで使われています。

ガリ版印刷

パソコンやコピー機のない時代、印刷は謄写版を使って行っていました。いわゆるガリ版です。

原稿は鉄筆で一文字ずつ書くので、膨大な時間がかかりました。

文芸部の部誌も原稿を風間俊が書いていて、それをメルが手伝うようになるのです。

生徒会長の水沼が、「俊の代わりにガリを切ってくれないか」とメルに頼んでいます。

ガリを切る」とは、印刷用の原紙に、鉄筆で一字一字を削り出すことを言います。

現代:今はパソコンで原稿を作りコピー機で簡単に印刷できるようになりました。

パソコンが普及する前はワープロ(ワードプロセッサー)という機械で原稿を作っていた時代もありました。

今でも中古品がたくさん売られています。ワープロ愛用者がいらっしゃるのですね。

 

昭和の学生運動や流行歌手について

学生運動について

1960年代は、戦後のどさくさの時期を経て、社会経済が成長し、それに伴い社会運動が盛んになりました。

学生運動も盛んで、1960年代後半には、ベトナム戦争や日米安保条約改定にたいする反対運動が沸き起こりました。

1969年には東大紛争で学生が安田講堂を占拠したため東大の入試が行われませんでした。

『コクリコ坂から』の時代は、学生運動が盛んになりつつ時期で、その影響で高校でも生徒たちが学校のやり方に反発して集会や討論会を行ったことがよくあったようです。

東大紛争についてはこちらの動画の画像から感じが分かるのではないかと思います。

「やまはり」とは?

メルが妹に頼まれて、カルチェラタンに行き、風間俊と話したときに、試験の話題が出て、「物理はゲタ?」と聞いています。

ゲタというのは先生のあだ名です。昔の中高生は先生にあだ名をつけて呼ぶことが多かったような気がします。

メルが、「鈴木先生です」と答えると、風間俊が、「じゃあそいつは役に立つ。この学校一の水沼殿の冴えわたったやまはりだからな」というセリフがあります。

「やまはり」とは、試験前に出そうなところを予測することで、「山を張る」または「山を掛ける」とも言います。

水沼は週刊カルチェラタンにテストの山(出そうなところ)を掲載していて、それと引き換えにメルにガリ切りを頼むのです。

カルチェラタンの掃除の時に、今までの試験の過去問が大量に出てきて、膨大な資料を基に山を張っていたことが分かりました。

当時の流行歌手

メルがカレー用の肉を買い忘れて、おばあちゃんの部屋でテレビを見ている妹に買い物を頼む場面があります。

その時、妹の空は、「舟木一夫を見るから」と断っています。

この時にテレビに映っているのは「坂本九」で、「上を向いて歩こう」を歌っていました。

この後に舟木一夫が出る予定だったようです。

舟木一夫は、1960年代を中心にヒットを飛ばした歌手で、同じ時期にデビューした西郷輝彦、橋幸夫とともに「御三家」として人気を集めました。

青春ソング「高校三年生」などで有名です。

1963年の思い出の流行歌というCDに収録されているのは、以下の曲でした。

1 こんにちは赤ちゃん/梓 みちよ
2 高校三年生/舟木一夫
3 長崎の女(ひと)/春日八郎 
4 東京五輪音頭/三波春夫
5 男船/井沢八郎
6 みんな名もなく貧しいけれど/三田 明 
7 島のブルース/三沢あけみ&和田弘とマヒナスターズ 
8 浪曲子守唄/一節太郎
9 美しい十代/三田 明 
10 星空に両手を/島倉千代子、守屋 浩
11 エリカの花散るとき/西田佐知子 
12 夕陽の丘/石原裕次郎、浅丘ルリ子 
13 学園広場/舟木一夫
14 ヘイ・ポーラ/田辺靖雄、梓 みちよ
15 恋のバカンス/ザ・ピーナッツ
16 見上げてごらん夜の星を/坂本 九 

 

この時のテレビは白黒のブラウン管テレビです。奥行きがあり、チャンネルはまわすタイプで上にアンテナを載せて映りを調節していました。

この時に妹の空も弟の陸も買い物に行くのを嫌がったため、メルが自分で行くのですが、その時に風間俊と出会って自転車の後ろに載せてもらったり、コロッケをもらって食べたりするのでした。

まとめ

『コクリコ坂から』から数十年で世の中が大きく変わりました。

作品の中で、現在の暮らしとは違う部分をまとめてみました。

>>コクリコ坂からをフルで無料で観る方法はこちら



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です