ハリーポッターが書かれた理由や背景は?作者JKローリングについても

『ハリーポッター』は、全世界で読まれている児童文学ですね。

1990年代のイギリスを舞台に、魔法使いの少年ハリー・ポッターが、友人たちと協力して闇の魔法使いヴォルデモートと戦う壮大なファンタジーです。

こちらではハリーポッターが書かれた理由や背景、作者のJ.K.ローリングについて見ていきたいと思います。

 

ハリーポッターが書かれた理由や背景は?

ハリーポッターのアイディアは、J.K.ローリングが1990年にマンチェスターからロンドンへの遅延列車に乗っていた時に生まれたとされています。

ハリーポッターを書いた理由は突然のひらめき

電車の中で、目の前に「ハリーや魔法学校のイメージ」がはっきり浮かんできたそうです。

後にハリーとなるこの男の子は、自分が何者なのか知らず、魔法学校への入学許可証をもらうまで自分が魔法使いだと知らないという設定がひらめきました。

ペンも紙もなかったため、主人公のこと、通う学校、そこで出会う人々などを頭の中で思い浮かべていたそうです。

ロンドンに着く頃にはロン・ウィーズリーハグリットを思いついていました。

ロンはハリーの親友となる人物で、ハリーやハーマイオニーと協力して戦うことになります。

ハグリットは森番で、半巨人の魔法使いです。

ローリングは自分の部屋へ戻ってから、列車で考えていたことを思い出しては、ノートに一心不乱に書き留めていった。これがハリー・ポッターの最初の草案となりました。

作者の母の死など創作の背景

1990年に母を病気で亡くします。ローリングは打ちひしがれて、作品にも死生観が書き加えられたようです。ハリーが両親を幼くして失った気持ちはローリング自身の気持ちが大きく影響しています。

当時のローリングは仕事も私生活も順調とは言えず、ハリーポッターの話を描くことだけが楽しみでした。

ハリーポッターのアイディアはいろんなところで生まれました。

英国発祥の球技クィディッチをお話で使うことは、恋人とけんかをして部屋を飛び出し、小さなホテルに1人で泊まった時に思いついたそうです。

ディメンターのアイディア

ディメンター(Dementor)は吸魂鬼とも言われ、ハリーポッターではアズカバンの看守を務め、後にハリーを襲撃し、近くにいたダドリー・ダーズリーを昏倒させる役割で登場しました。

ディメンターは、ローリングがうつ病に罹患した時の心理状態をもとに考え出したとされます。ローリングは、「十代のころ、黒いフードを被った人影の夢を見た」と語っています。

大変な状況の中でもローリングは「ハリーポッターシリーズを書き続けます。1995年にハリーポッターと賢者の石の原稿を完成させました。

この本は12の出版社に提出され、そのすべてが原稿を却下したそうです。

ブルームズベリー出版社が出版することとなったのは、受け取った原稿を、編集者が自分で読む前に8歳の子供アリス・ニュートンに手渡して反応を見たからだそうです。

1時間後に部屋から出てきたアリスは、「パパ、これは他のどんなものよりもずっと素敵だ」と話しました。この子がいなければ、ハリーポッターシリーズは日の目を見ていたか分かりませんね。

契約金は1500ポンドで、それまで福祉に頼ったり借金をしてきた生活がこの時から変わり始めます。

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作者JKローリングについて

ハリーポッターが書かれた背景には、作者のJ.K.ローリングの生い立ちがかかわっています。


引用:映画.com

ローリングは子どもの時からお話を作るのが好きで、ファンタジーの物語を作っては2歳下の妹に読んで聞かせていました。

ローリングに影響を与えたのはジェシカ・ミットフォードです。

教師をしていた大叔母にもらったジェシカ・ミットフォードの自伝『令嬢ジェシカの反逆』(Hons and Rebels)を読んだ時からミッドフォードはローリングのヒロインになりました。

ジェシカ・ミットフォードはイングランド出身の作家、ジャーナリスト、公民権運動家、政治活動家です。

後のローリングの運動家としての活動は、ミッドフォードの影響を受けていると思われます。

ローリングは彼女の本をすべて読んだといいます。

10代の頃

ローリングが10代の頃、母親が多発性硬化症と診断されます。母と父の間には緊張した関係があり、彼女の10代は穏やかなものではなかったようです。

ローリングは後に、生真面目に努力する秀才ハーマイオニーグレンジャーの性格は彼女自身に基づいていると述べています。

また、彼女の学校時代の先生は、ローリングは最も勉強の良くできた女子の一人だったと言っています。

彼女は多くのティーンエイジャーのようにロックミュージックに興味を持ち、ザ・クラッシュ、スミス、スージー・スー、バックコーマなどに傾倒しました。

父との関係

ローリングと父との関係は良いものではなく、父のピーターはローリングの結婚式には来たものの、その後交流が途絶えます。

ピーターは、父の日にローリングが「たくさんの愛をこめて。あなたの長女より」と書いて送ったハリーポッターの初版本をサザビーに売りに出したそうです。

どういう気持ちでそんなことをしたのでしょうか。信じられませんね。4万8千ドルの値段が付いたそうですが。

結婚生活

ローリングは1992年に27歳で結婚します。相手はバーで出会った男性でした。

1993年に娘のジェシカを出産。しかし4ヶ月後ローリングは家から追い出される事件が起こります。赤ん坊を取り返しに行ったそうです。

ローリングは、ハリーポッターシリーズの多くをカフェで書いていますが、執筆の流れを途切れさせることなくコーヒーが利用可能だったのと、赤ちゃんを外に連れ出すことで眠らせることができたからと述べています。

慈善活動

ローリングは、2000年に、片親を支援する団体の大使になりました。

また、アーティストやパフォーマーを支援する団体や国境なき医師団、失踪した少女を探すためなどに多額の寄付をしています。

1990年に母親が亡くなる前に苦しんでいた多発性硬化症の研究と治療に資金と支援を提供してきました。

影響を受けた人物や作品

一番最初に影響を受けたのはジェシカ・ミットフォード(ミットフォード姉妹の五女)で、自伝『令嬢ジェシカの反逆」を読んで、ジェシカの勇敢で理想に燃える人物像に憧れを抱いたといいます。

ジェーン・オースティンの『エマ』は20回以上読んだそうです。

中学時代にはウィリアム・ゴールディングの『蝿の王』、J・V・マーシャルの『美しき冒険旅行』を読んでいた。

ハーマイオニーという名前はシェークスピアの『冬物語』に出てくる名前です。

エリザベス・グージの『まぼろしの白馬』は「ハリー・ポッター」に一番の影響を与えた本だと語っています。

チャールズ・ディケンズの『二都物語』やトールキンの『指輪物語』『ライオンと魔女』CSルイス、『トンデモネズミ大活躍』ポール・ギャリコもローリングに影響を与えたそうです。

まとめ

●ハリーポッターのアイディアは、作者のJ.K.ローリングが電車に乗っていた時にひらめいた。

●ハリーポッターのキャラクターはローリングが実際に経験した母親の死や学生時代のローリング自信を色濃く反映している。

●5年に渡って書かれた本が完成した時に12の有名出版社に出版を断られた。

●ローリングはハリーポッターを出版したことで、貧しいシングルマザーから億万長者になったが、数多くの慈善活動にその資金を使っている。

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