映画『プラダを着た悪魔』に登場する鬼編集長のモデルは、アメリカ版「ヴォーグ」の編集長のアナ・ウィンターと言われています。
アナ・ウィンターについて調べてみました。
目次
プラダを着た悪魔の鬼編集長ミランダのモデルは?
ミランダのモデルは、アメリカ版「ヴォーグ」の編集長のアナ・ウィンターと言われています。
しかし著者ワイスバーガーはその噂を否定しています。
ワイスバーガーは、実際に「ヴォーグ」に勤めていて1年間アナ・ウィンターのアシスタントとして働いたことがあるのですが、さすがにアナがモデルだと言ってしまうのはまずいと思ったのではないでしょうか。
アナ・ウインターの経歴
あな・ウインターは、1949年ロンドンで生まれました。
ボブヘアと黒いサングラスがトレードマークです。
ニューヨークとロンドンで才能を発揮
彼女の父は雑誌『イヴニング・スタンダード』の編集者でした。
その影響もあったのでしょう、アナは10代のときにファッションに興味を持つようになります。
イギリスの出版社での編集の経験の後、ニューヨークに渡り、雑誌『NEW YORK』で才能を発揮辣腕します。
1985年から1987年の間は、英国版『ヴォーグ』の編集長に就任し、大胆な改革を実行、英国版『ヴォーグ』を最先端のトレンド誌に変身させました。
その後ニューヨークへ戻り、グレース・ミラベラのあとを継いで、38歳で米国版『ヴォーグ』の編集長とななりました。
慈善事業にも積極的に参加し、エイズ患者、感染者支援のチャリティを推進しています。
性格やプライベート
性格はよそよそしく冷酷と評され、「Nuclear Wintour(核の冬)」とあだ名されていました。
誌面に毛皮製品を登場させたり、自身もプライベートで毛皮を多く愛用するため、動物愛護団体から非難されています。
再三の注意や非難を受けながらも使い続けるため活動家から身体的な攻撃を受けたこともあったそうです。
私生活では、1984年、13歳年上の精神科医ディヴィット・シャファーと結婚、1999年に離婚しました。
ディヴィットとの間にチャールズ、キャサリンという2人の子供がいます。
2009年、ドキュメンタリー映画『ファッションが教えてくれること』が公開、彼女のライフスタイルを知る手がかりとなりました。
ジェームズ・コーデン司会のナイトショーに出演
深夜のトーク番組「レイト×2ショー with ジェームズ・コーデン」に出演し、答えにくい質問に答えるか、答えずにまずい食べ物を食べるか、というゲームのコーナーに挑戦したこともありました。
デザイナーのトム・フォード、マーク・ジェイコブス、さらにはラルフ・ローレンを上から下まで順位付けする、というゲームでは、ベーコンで包んだピザを食べることのほうを選びました。
ピザを食べた感想は、”It’s covered in grease.”「油だらけだわ」という事で、アナは普段絶対にピザを食べないのだそうです。
スターバックスが大好き
アナは、毎日5時に起床、テニスをしてシャワーを浴び、プロによるヘアメイクが朝のルーティーンなのだそうですが、朝食はスターバックスでとるのだそうです。
ニューヨーカーという感じですね。
他にも73のクエスチョンに、上から下まで黒ずくめは着ない、星占いは嫌い、好きな花はチューベローズ(オスカー・デ・ラ・レンタからオフィスに届いた)、お酒は飲まない、炭酸水を飲むなど、自身のこだわりについて答えていました。
自分に関するうわさは全て本当よ、とも言っていました。
全ての質問に即答し、頭の回転の速さを彷彿とさせました。
インスタグラムより
アメリカのファッション誌『VOGUE』で26年間、アナ・ウィンターの右腕を務めたグレース・コディントンと ↓
自宅でくつろいでいる時 ↓
プラダを着た悪魔のミランダ
「プラダを着た悪魔」のミランダ役はメリルストリープでした。
アナ・ウインターとはタイプが違うけれど、鬼編集長をとてもチャーミングに演じていたと思います。
原作とは違い、アンディにお礼を言ったり弱気なところを見せることもありました。
それも含めて映画はとても良かったと思いました。
原作と異なるエンディングでしたが、アンディが自分の道を見つけて、ミランダもそれを応援し、なおかつ自分は自分の道をまい進する展開に、清々しい気持ちになりました。
まとめ
映画『プラダを着た悪魔』に登場する鬼編集長のモデルとされている、アメリカ版「ヴォーグ」の編集長のアナ・ウィンターについてのまとめでした。
ポリシーを貫いた生き方に感動しました。
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