朝ドラ「おちょやん」で、千代(杉咲花)は山村千鳥一座が解散になったので鶴亀撮影所に行きます。
千鳥から紹介してもらったので、所長の片金平八(かたがねへいはち)はあっさり合格にしてくれました。
片金平八にモデルがいるのか、いるとしたら誰なのか見ていきます。
目次
【おちょやん】鶴亀撮影所の片金平八のモデルは?
鶴亀撮影所の所長片金平八を演じるのは六角精児さんです。
所長室では、いつもフンドシ姿で空手の型をしていて、普段えらそうに振る舞っていますが、大山鶴蔵社長には頭が上がらない、という役どころです。
片金平八の時はこんな感じ ↓
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片金平八のモデル・東亜キネマの小笹正人
片金平八のモデルは、東亜キネマの撮影所長・小笹正人(おざさまさと)のようです。
それは、片金のセリフが、小笹正人が言った言葉だからです。
千代のモデル・浪花千栄子の当時の様子について見ていきます。
浪花千栄子は、村田栄子一座(山村千鳥一座のモデル)を辞めて、劇場主の紹介で東亜キネマに入社します。
そこで千栄子に目を掛けて可愛がってくれたのが、小笹正人でした。
浪花千栄子さん ↓
東亜キネマでのエピソード
浪花千栄子は、東亜キネマで役がもらえるようになり、35円の月給をもらい、撮影所の近くに部屋を借りて独立して生活するようになりました。
ある時、経営上の問題から、東亜キネマの撮影所で人員整理が行われます。
その時に、スキャンダルまみれのスター女優が残されて、上層部の誘惑を蹴ったために役をもらえなくなった真面目な女優が人員整理の対象になりました。
正義感の強い千栄子は、人事課に抗議に行きます。
そこにいた撮影所長の小笹正人が、千栄子をなだめてこんな風に言うのでした。
この言葉の一部ををおちょやんのお話の中で片金が言います。
「君は、君たち芸の道を行こうとする人は、常に孤独だという事を知っているかね。孤独とのたたかいこそ、芸の道の修行と言えるんだよ。
君は、いつまでも君ひとりさ、だれの力にも頼ってはならぬのが、芸能人の宿命だ。
僕は、君はうまくいけば非常に伸びる人だと思っている。そのかわり、うまくいかないとその反対になってしまう人だ」
「水のように」浪花千栄子著 より
千栄子はその時は所長のこの言葉の意味が分からずに、東亜キネマに嫌気がさして辞表を書いて辞めてしまいます。
その後市川百之助プロダクションに入り浪花千栄子と改名し、その後帝国キネマに入社するのですが、そこも理不尽な経営に嫌気がさして辞めてしまいます。
その後地方回りの興行に行ったり、急場しのぎに使われたりして1年ほど過ごしたのちに、新潮座に松竹の専属の形で契約することができました。
小笹正人の経歴
正確な生年は不詳ですが、1884年(明治17年)ころと言われています。
1920年代に大阪の八千代生命に入社し、同社の宣伝部長を務めます。
八千代生命は、映画事業に乗り出し、西宮市の甲陽園にあった「甲陽キネマ撮影所」を買収して1923年「東亜キネマ」を設立し、半年後には、京都の牧野省三の「マキノ映画製作所」を吸収合併しました。
小笹は「東亜キネマ等持院撮影所」の所長に就任、翌年には東亜キネマの取締役に就任します。
八千代生命が映画製作事業から撤退すると、小笹は東亜キネマを退社しました。
その後マキノ・プロダクション御室撮影所長に就任、また、帝国キネマの太秦撮影所長となります。
その後北海道支社長へと転任、北海道・札幌で内外映画社を設立。その後も東京や東北で映画館を経営、1967年(昭和42年)に消化管閉塞のため死去するまで映画を国民に広めることに尽くしました。
小笹は『映畫國策の急務 – 業界報告第一輯』、『映畫國營論 – 業界報告第二輯』と2冊の本を出版しています。
その中では映画業界の腐敗に頭を悩ませ、映画を国営にすることを進言しています。
小笹正人自身が映画制作会社に振り回された人生を送ったので、愛する映画を会社の事情に左右されずに純粋に人々に届けたいと思ったのでしょう。
『映畫國營論 – 業界報告第二輯』は、国会図書館のデジタル版でネットから見られます。
映画界の舞台裏を知るものならではの貴重な話もあり興味深いものでした。
→https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000000624865-00
「おちょやん」との比較
小笹正人が浪花千栄子に言った言葉を、片金平八が千代に言っていることから、片金のモデルが小笹正人だと推測しましたが、片金平八はかなりユニークな人物で、かなりオリジナルの要素が入っているようです。
実際の小笹所長は、片金とはかなり違って真面目な雰囲気の人物だったようでした。
千栄子の実力を認めていたのでしょう。何かと千栄子に目を掛けてくれ、辞表を出したときには慰留を求めたそうです。
小笹所長の言葉、「君たち芸の道を行こうとする人は、常に孤独だという事を知っているかね。孤独とのたたかいこそ、芸の道の修行と言えるんだよ。」はずっと後になってから意味が分かっってきた、と浪花千栄子は著書で述べています。
六角精児の経歴
ここからは、片金平八を演じる六角精児さんについて見ていきます。
片金平八を演じている六角精児(ろっかくせいじ)さん ↓
引用:映画.com
プロフィール
本名 | 山地 克明(やまじ かつあき) |
生年月日 | 1962年6月24日 |
星座 | かに座 |
血液型 | O型 |
身長 | 175㎝ |
出身地 | 神奈川県横浜市西区 |
出身校 | 厚木高校→学習院大学(中退) |
配偶者 | 既婚(3度の離婚歴あり) |
著名な家族 | 山地悠一郎(父) |
所属劇団 | 劇団扉座 |
所属事務所 | 舞プロモーション |
進学校の厚木高校に進学していますが、六角さんのお母さんは教育ママで、成績が悪いとひどく叱られたそうです。
経歴
演劇を始める
◆六角精児さんが演劇を始めたきっかけは、高校の時に演劇部に誘われて入ったからです。
始めはやる気がなかったのですが、演劇部部長の横内謙介(後の劇団扉座座長)キャスティングされて出演した舞台が演劇コンクールの全国大会まで進出しました。
横内を中心としたこの時の演劇部のメンバーが作った劇団が後に劇団扉座になり、六角精児さんも座員として活動しています。
ドラマ出演から人気に
◆2005年に「電車男」に出演し、知名度が出てドラマにレギュラー出演するようになります。
実は六角さんは大学時代からギャンブル依存で、多額の借金がありましたが、ドラマ出演が続いたことで全額返済に成功したそうです。
2009年春、映画『相棒シリーズ 鑑識・米沢守の事件簿』で主演を務めます。
2015年からはNHKBSプレミアムで、自身の初の冠番組でもある「六角精児の呑み鉄本線・日本旅」がスタートし、人気シリーズとなっています。
六角さんはパチンコ、競輪を始め、あらゆるギャンブルにのめり込んでいたのですが、このままでは生活に支障が出てしまうと思い、興味の対象を移すために元々好きだった鉄道ファンで生きていこうとしたそうです。
それが仕事に結びつき良かったですね。
連続テレビ小説に多数出演
六角さんは、朝ドラに多数出演しています。
今までの出演作と役柄はこちらです ↓
●2003年「こころ」 丹下雅紀 役
●2006年「純情きらり」 松浦利雄 役
●2012年「カーネーション」 松田恵 役
●2015年「まれ」 安西隼人 役
●2018年「半分、青い。」 西園寺満 役
今回のおちょやんでの演技も楽しみですね!
まとめ
「おちょやん」で、鶴亀撮影所の片金平八のモデルの小笹正人について見てきました。
東亜キネマの取締役となった方で、浪花千栄子が東亜キネマにいたときには、撮影所長として千栄子に目を掛けてくれた人物でした。
片金平八が頭の上がらなかった人物に大山鶴蔵社長がいましたが、そのモデル、白井松次郎についてはこちらに書いています ↓
【おちょやん】大山鶴蔵のモデルは?松竹の創業者・白井松次郎についても
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