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3月6日にEテレで放映されたドキュメンタリーはもともと映画「ママと暮らしたい」として放送されたものです。
イスラエルで入院生活を送る男の子ムヒの話を取り上げていました。
この愛くるしいムヒのドキュメンタリー映画がどのように作られたのかを調べてみました。
目次
映画「ママと暮らしたい」の製作秘話や背景
義足を付けて病院を掃除して回るムヒ ↓
「ママと暮らしたい」が生まれたきっかけ
監督の一人であるイスラエル人、リナ・カステルヌオーボさんはニューヨークタイムズの「肉親に先立たれた人々」の特集を通してムヒのことを知りました。
イスラエルとパレスチナのサポートグループについて調査しているときに、ムヒとその祖父に深くかかわっている人道平和活動家のブマと出会ったからです。
ムヒのことを知るうちに、映画にして伝えなければと思い、撮影を始めたそうです。
ムヒは自己免疫疾患で、ガザ地区からイスラエルに運ばれるときに生命を守るため手足の切断手術を受けました。
ムヒのように子どもの患者の場合、付き添いが必要ですが、それはしばしば祖父母が請け負うことになります。
というのは若いパレスチナ人は安全上の理由からイスラエルに出入りすることを禁じられているからです。
ムヒの母親は2年前にムヒに会ったきりという事です。
数々の映画祭にノミネートされる
原題が”Muhi: Generally Temporary”というこの映画は2017年、2018年の映画祭にノミネートされ、賞も取りました。
それがきっかけで今回NHKのドキュランドで放映されたのだとしたらありがたいことですね。
世界中の多くの人に見てもらいたい映画です。
ムヒのその後
ムヒは今アラブ・ユダヤ学校に楽しく通っていて、友だちもたくさんいるそうです。
でも病院に住んでいて、人工肛門を付けていることもあり、友だちを家に呼ぶことは難しいという事でした。
撮影のため学校で後を追いかけられるのが嫌で、リナにもう撮影されたくないと伝えたそうです。
ムヒと祖父のアブは今ユダヤ教の正統派NPO団体によって保護されていて、生活費も払ってもらっているそうです。
なので、もうガザに戻されることはないという事でした。
アブはガザに行ったらイスラエルに戻れないかもしれないとおびえて、イスラエルから出られないそうです。
そうしたら、ムヒは生きていけないからです。
ムヒの父はセメント工場を経営していましたが、爆破され、親戚11人を無くしました。
そして父はハマスの活動家になっているそうです。
まとめと感想
ムヒが学校で楽しく過ごしていてよかった!
手足がない、病院で一生暮らさなければならない、両親に会えない、そんな大変な状況なのに、ムヒは明るいので驚きます。
ムヒが通っているアラブ・ユダヤ学校では、アラビア語とヘブライ語の両方を教えています。アラブ人とユダヤ人の両方が通っているのです。
このような学校が増えていると聞いて明るい気持ちになりました。
病院でもムヒはみんなから愛されているようでした。
ムヒの愛くるしさはみんなを和ませていたようです。
このような人たちが増えればイスラエルとパレスチナの問題も草の根から変化していくのではないかと希望を感じました。
ドキュランド関連記事はこちらです。
ドキュランドはNHKEテレで毎週金曜の午後10時に放送されています。
まとめ
今回はドキュランドで放送されたムヒの映画について、製作された背景についてのまとめでした。
海外で暮らす人々の実際の様子が分かる貴重な記録ですね。
ドキュランド「ママと暮らしたい」は、NHKオンデマンドで見ることができます ↓
>>NHKオンデマンドとU-NEXTの違いを比較解説!注意点や登録・解約についても
★ドキュランド「ママと暮らしたい」についてはこちらにあります ↓
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