朝ドラ・エール13話で定期演奏会をしたハーモニカ倶楽部のモデルは?歴史や古関裕而氏との関係についても

 
NHK朝ドラ「エール」の第13話では、裕一が音楽の道をあきらめて伯父の権藤茂兵衛(風間杜夫)の養子になることを決意します。

父の三郎がもうけ話に騙されたために資金繰りに困り、茂兵衛から融資を受けるために裕一を養子に出すことにしたからです。

ハーモニカ倶楽部の定期演奏会で裕一は自分の作曲した曲を指揮しました。演奏会は大成功に終わりましたが、終了後に裕一はハーモニカ倶楽部をやめることを部員に報告しました。そこに至るまでの裕一の苦悩の場面に涙が止まりません。

裕一が所属していたハーモニカ倶楽部のモデルの福島ハーモニカ・ソサィティーについて調べてみました。

朝ドラ・エール13話で定期演奏会をしたハーモニカ倶楽部のモデルは?

福島ハーモニカ・ソサィティーの歴史

裕一が所属していた福島ハーモニカ倶楽部のモデルは福島ハーモニカ・ソサィティーです。

もともとは大正11年、橘登(たちばなのぼる)を中心に福島ハーモニカ団として創設されました。翌年には福島ハーモニカ・ソサィティーと改称し、高い水準の演奏で有名でした。

橘登は、「エール」では館林信夫(川口覚)として描かれています。

館林会長役の川口覚さんについてはこちらの記事にあります。

福島ハーモニカ・ソサィティーのその後

橘登は、昭和7年に家業の蕎麦屋を継ぐため福島ハーモニカ・ソサエティーを解散しました。

その後メンバーが再結集されて福島ハーモニカ合奏団として復活、現在は「福島ハーモニカ協会」として活動しているそうです。


福島ハーモニカ・ソサィティーと古関裕而

裕一のモデル・古関裕而は10歳の時に卓上ピアノを買ってもらい作曲を始めます。そして13歳で商業学校に入学後は、妹尾楽譜により、本格的に作曲・編曲を始めたそうです。

妹尾楽譜についての記事はこちら

古関裕而が福島ハーモニカ・ソサエティーに入ったのは大正12年の14歳、この年に関東大震災を経験した古関は1928年(昭和3年)に、交響楽短詩「大地の反逆」を作曲しています。41ページもある交響楽を19歳で作曲!さすがですね。

イギリスのチェスター楽譜出版社募集の作曲コンクールで見事第二等に入選したのは20歳のときでした。

古関は、福島商業学校卒業後川俣銀行に入社後も福島ハーモニカ・ソサエティーに所属し、仙台中央放送局記念番組に出演したこともあったそうですよ。

 

ハーモニカ倶楽部定期公演について

番組では福島ハーモニカ倶楽部の定期演奏会で、会長の館林信夫の指揮でビゼー作曲の「闘牛士」を演奏した後、裕一が作曲した作品を裕一が指揮して演奏します。

ジョルジュ・ビゼー作曲の歌劇「カルメン」前奏曲・闘牛士についてはこちらの記事にあります。

福島ハーモニカ倶楽部の定期演奏会のロケ場所

福島ハーモニカ倶楽部の定期演奏会のロケ場所についてのツイッター投稿がありました。

会長役の川口覚さんロスの声

もう見られなくなる会長役の川口覚さん、寂しいですね・・

ハーモニカ演奏会の日のオフショット

この場面のロケは昨年10月に撮影されていたんですね・・


まとめ

今回は「エール」13話で定期演奏会をしたハーモニカ倶楽部のモデルの福島ハーモニカ・ソサィティーについて取り上げてみました。

裕一は伯父さんの養子になって川俣銀行に入社しますが、銀行の人たちが楽しそうでホッとしました。

※NHK朝ドラ「エール」の他の記事はこちら

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