朝ドラ・エール第4話で裕一の母が着ていた洋服や帽子のスタイルは?大正時代のファッションについても

 

NHK朝ドラ「エール」の4回目は、裕一の将来の原点となる作曲の場面が出てきた重要な回でした。

また、教会で将来の妻、音との出会いも。

朝ドラ・エール4回目で裕一の母が着ていた洋服

この回で裕一は母と絹で栄えていた町、川俣に行き、映画を見たり町を歩いたり楽しい時を過ごします。

映画を見に行った時に裕一の母が初めて洋服を着ていました。襟ぐりの大きく開いた白い襟の青いワンピースで、頭の部分が深くてつばが小さい帽子をかぶっていました。このような格好は大正時代のおしゃれな女性の間で流行っていたようです。

裕一に「綺麗だね」と褒められています。お母さんがきれいな格好をするとうれしいのですね。

7月2日の再放送では、副音声で久志(山崎育三郎)も「まささん、お洋服素敵」と言っていました。

大正時代にはどのような服が流行ったのでしょうか。調べてみました。


大正時代のファッション

大正時代のモダン・ガール(モガ)のファッション

下の画像は大正時代に流行った女性のスタイルです。このようなファッションの女性たちはモダン・ガール(モガ)と呼ばれました。今でも十分おしゃれですよね。驚きです。

ひざ丈、または少し長めのスカート丈のワンピースやスカートにクロッシェという帽子を被ったスタイルです。

大正時代に流行った帽子クロッシェ

クロッシェは1920年にフランスの帽子デザイナーが考案し、大流行しました。

つばが小さく、頭が入る部分が深い帽子です。おしゃれですね。

大正時代の髪型

ヘアスタイルは、ショートボブフィンガーウェーブといわれるスタイルが多く見られました。

フィンガーウェーブは、熱したコテで前髪にウェーブをつけ、後ろ髪を束ねたスタイルで、「耳隠し」とも呼ばれ大正後期から昭和にかけての代表的な洋風の髪型だったそうです。

まとめ

裕一の母は実家のある川俣の町を洋装で裕一と歩いて楽しそうでした。しかし、裕一だけを連れて行ったのはわけがありそうです。

話の中で、実家の後継ぎとして「裕一を養子に」という話題が出ていました。

裕一は川俣がとても気に入ったようですが、養子に行くのでしょうか。気になりますね。

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