主人公裕一(窪田正孝)と音(二階堂ふみ)の文通が始まりました。この文通を通して二人は恋に落ち、結婚へと向かうのですが、そんな中18話で音が梅(森七菜)に頼んで詩を紹介してもらう場面がありました。
その時に梅が本棚から出してきた紙に書かれていたのがエール第4週のテーマにもなっている「君はるか」です。
「君を思えば」で始まるこの詩についてまとめてみました。
目次
【エール】君を思えば…の詩「君はるか」についてまとめ!
浅原鏡村の「君はるか」
この詩は浅原鏡村(あさはらきょうそん)の「君はるか」です。
「君を思えば はるかなり
浪のかなたを はるかなり
たよりをよめど かすかにて
涙のうちに はるかなり」
ドラマでの「君はるか」のエピソード
音と文通を始めた裕一は、音に「好きな詩と音階を教えてくれれば、君のために曲を書く」と手紙を書きました。ロマンチックですね。
音は感激したものの何の詩がいいのかアイディアが浮かばず、梅に救いを求めます。梅はとまどいながらも本棚から「これはどう?」と詩が書かれた紙を探して音に渡します。
その詩は「君を思えば はるかなり・・・」 で始まる浅原鏡村(あさはらきょうそん)の「君はるか」でした。
何と音はその紙をそのまま使って裕一に手紙を書きます。その手紙の詩を見た裕一は「素敵な詩だなぁ~」といっぺんで気に入り音楽がひらめきます。
場面変わって、裕一は父の三郎と飲み屋にいます。裕一の様子がいつもと違うことに気が付き裕一を問い詰める三郎。すると裕一は音の手紙を三郎に見せます。
それを読んだ三郎の感想
三郎:「もうちっとましな紙で書いてきてもよさそうだけどなぁ」 素直な感想ですね。(笑)
それに対し裕一はこう答えます。
「これこそがすばらしいんだよ!常識にとらわれない感性。ファンレターの中で彼女だけが僕の音楽に興味持ってくれたんだ」
三郎:「おめえ・・恋してんのか?会ったこともねぇ、手紙だけの女に」 まさにその通り!
「君はるか」のエピソードの真相
この、音が送った詩に裕一が詩をつける、というエピソードですが、実際はちょっと違っていました。
裕一のモデル古関裕而(こせきゆうじ)と音のモデル内山金子(うちやまきんこ)が文通の中で「君はるか」の詩があったのは事実ですが、実際は金子がある日手紙を書こうとしたときに便箋が無くて、たまたま見つけた「てるてる坊主」の作詞者・浅原鏡村の詩「君はるか」が印刷された紙を便箋代わりにして送ったというのが真相だそうです。
そこには「レターペーパーが無いのですけれどすぐ返事が書きたいのでこんな紙に書きます。あしからず」と書いてあったそうですよ。
そうしたら、古関裕而がその詩を見て感動し、曲を付けて送り返してきたらしいです。こちらも素敵なエピソードですね。
作者の浅原鏡村について
浅原鏡村の経歴
浅原鏡村(あさはらきょうそん)(1895~1977)は童謡「てるてる坊主」の作詞をしたことで知られています。鏡村はペンネームで本名は浅原 六朗(あさはら ろくろう)といいます。
「長野県北安曇郡池田町村の酒造業「飯田屋」の四男として生まれる。父の慈朗が牧師をしていた福島県石城郡平町(現・いわき市)へ移る。1919年早稲田大学英文科卒。実業之日本社に入社。1928年に退社し、作家に専念する。
「てるてる坊主」などの童謡を浅原鏡村の名で作詞した。また横光利一の勧めで俳句も始め、「人間俳句」を提唱、「俳句と人間の会」を主宰した。」
引用:Wikipedia
浅原六朗文学記念館(てるてる坊主の館)
長野県北安曇郡池田町(きたあずみのぐん・いけだまち)には浅原六朗文学記念館があり、通称「てるてる坊主の館」と呼ばれているそうです。
浅原が作詞した「てるてる坊主の歌」は始め4番まであったそうですが、大正12年に「てるてる坊主」と改題されて現在の歌になりました。
浅原は池田町に5歳までしかいませんでしたが、後に池田小学校の校歌を作詞しています。
「てるてる坊主」も収録 ↓ ↓
まとめ
今回は裕一と音の文通の中に出てきた詩「君はるか」のエピソードからのまとめでした。
自分のために曲を作ってもらうというのは女性なら一度はあこがれますね。そんなところが気の利いた演出だと思いました。
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