コクリコ坂からの集会の場面で歌われた歌は?なぜ学生たちが合唱し始めたかにについても

映画『コクリコ坂から』で、学生集会の途中、先生が見回りに来た場面で生徒会長が歌を歌い始め、みんなで合唱する場面があります。

その歌は何という歌なのでしょう?また生徒会長はなぜ突然歌い始めたのかについても考えてみたいと思います。

コクリコ坂からの集会の場面で歌われた歌は?

学生集会で歌われた歌は「白い花の咲く頃」という歌です。

1950年(昭和25年)の作品で、作詞:寺尾智沙、作曲:田村しげるで、岡本敦郎さんが歌ったものです。

とても綺麗な歌ですね。

作詞の寺尾智沙さんは、作曲の田村しげるさんの奥さまだそうです。

時代は戦争後の復興期。季節は春。卒業式を終えて、田舎から都会へ出ていく若者の、故郷との別れを描いたものです。

見送るおさげの少女の描写が切ないですね。

『コクリコ坂から』の時代設定は1964年の東京オリンピックの前年です。

その頃は労働運動、学生運動がさかんで、人々の連帯感を生む歌声喫茶が多くありました。

集団就職で単身東京に移住してきた青年たちも多く、寂しさを紛らす心のよりどころでもあったようです。

歌声喫茶では、客が全員で歌を歌うのが当たり前で、独自の歌集がある店もあったということです。

その後1970年代~1080年代のカラオケスナックやカラオケボックスの出現により、歌声喫茶はすたれていきましたが、今でも各地に復興の動きはあるようです。

 
 

なぜ学生たちが合唱し始めたかにについて

カルチェラタンについて

 
『コクリコ坂から』の中で出てくる高校には、通称カルチェラタンという男子文化部の部室棟があります。
 
 
カルチェラタンという名称は、フランスのパリにある学生街にちなんでつけられたもののようです。
 
この建物、明治時代に学生寮として建てられたものですが、映画の中では文化部の部室として使われていて、何年も掃除されずに埃まみれになっていることから、魔窟と呼ばれ、学校は取り壊して新しく作り直す計画を立てていました。
 
それに文芸部の風間俊や生徒会長の水沼らが反対していたのです。
 
映画は東京オリンピックの前年の設定ですから、古いものをどんどん取り壊して、新しい建物を建てるのが時代の風潮だったと思われます。
 
 
風間俊は、古い文化を残そう、という考えだったので、この建物を取り壊そうとする学校側の意見に反対していました。
 
しかし、8割の生徒が取り壊しに賛成していたことから、生徒会に討論集会を持ち掛けて賛成の生徒を増やし、学校側に交渉しようとしていたようです。
 
風間俊の言葉から
 
「古くなったから壊すというなら、君たちの頭こそ打ち砕け」
 
「古いものを壊すことは、過去の記憶を捨てることと同じじゃないのか」
「人が生きて死んでいった記憶を、ないがしろにするということじゃないのか」
「新しいものばかりに飛びついて歴史を顧みない君たちに未来などあるか」
 
 
このセリフは、宮崎吾郎監督が脚本に付け加えたようで、彼の主張でもあると思われます。
 

生徒たちが歌いだす理由

 
カルチェラタンでの討論集会の最中に先生が見回りに来ると、乱闘状態の中、生徒会長が突然歌いだし、生徒全員が合唱する場面があります。
 
 
見回りの先生たちは何も言わずに帰るのですが、なぜ突然生徒会長は歌いだしたのでしょうか?
 
それは、見回りの先生たちの手前、生徒たちが合唱している、という事であればお咎めを受けずに済むからだと思われます。
 
討論集会自体は学校としては禁止できないのですが、集会中に乱闘など騒ぎがあれば問題になり、カルチェラタンを取り壊そうとする学校側に有利になってしまいます。
 
あらかじめ、見回りが来るのを知らせる係がいて、その合図で生徒会長が歌いだしました。
 
面白いのは、そのあと生徒が全員で歌いだすことです。
 
みんなが知っていたという事は、合唱で歌っていた曲なのでしょうか?
 
それとも当時流行っていたからみんな知っていたのでしょうか。
 
それについては分かりませんが、当時の文化として、みんなで歌を歌う、というのは歌声喫茶の流行から見ても容易に考えられますね。
 

 

「白い花の咲く頃」の時代背景

 
 
「白い花の咲く頃」は、他にもいろんな歌手が歌っていますが、倍賞千恵子さんの歌がとても美しいと思いました。
 

この歌が発表されたのが昭和25年(1950年)で、この年の6月に朝鮮戦争が始まっています。
 
海のお父さんが命を落としたのは、朝鮮戦争で特殊輸送業務に従事して、機雷に触れたからです。
 
この戦争では、多数の日本人が直接戦場に派遣され、少なからぬ犠牲者も出たという事ですがそれについてはあまり知られていないのではないでしょうか。
 
私もLSTの海上輸送のことは知りませんでした。
 
映画の中で、徳丸理事長が海に会って、海の父が船乗りで朝鮮戦争で死んだ、と聞いて「LST」とつぶやく場面がありました。
 
LSTは、landing ship、tankの頭文字で、戦時中に人員や物資の陸揚げを目的とし、直接海岸に乗り上げるタイプの船のことです。
 
海のお父さんはLSTに乗っていたのでしょう。
 

まとめ

 
今回は、映画『コクリコ坂から』で生徒たちが歌った「白い花の咲く頃」について、また、生徒が合唱する理由についてのまとめでした。
 
『コクリコ坂から』は戦後の高度成長期に差し掛かる日本の様子が良くわかる作品です。
 
数十年で世の中が大きく変わったことを実感しましたが、今の時代を生きるヒントがあちこちにあるような気がしました。
 
 

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