コクリコ坂から「紺色のうねりが」は宮沢賢治が原案!歌詞・挿入歌の意味は?

『コクリコ坂から』の挿入歌「紺色のうねりが」は、作詞が宮崎駿/宮崎吾朗(みやざきはやお/みやざきごろう)さんで、作曲が谷山浩子(たにやまひろこ)さんです。手嶌葵(てしまあおい)さんが歌っていました。

この詩には原案があることが、映画の最後のクレジットから分かりました。

 

コクリコ坂から「紺色のうねりが」は宮沢賢治が原案!

エンドクレジットでは、挿入歌「紺色のうねりが」の原案は宮沢賢治の「生徒諸君に寄せる」となっていました。

『コクリコ坂から』放送のお知らせツイート↓

「生徒諸君に寄せる」とはどんな詩なのでしょうか。

宮沢賢治「生徒諸君に寄せる」とは

映画『コクリコ坂から』で、海が妹に頼まれて風間俊のサインをもらいに考古研の研究室に行く場面があります。

(c)スタジオジブリ

その時に男子が「新しい時代のコペルニクスよ余りに重苦しい重力の法則から解き放て…」という詩を朗読していました。

これも、宮沢賢治「生徒諸君に寄せる」の一部です。

この詩は完成されたものではなく、下書きだったものを、朝日新聞の「朝日評論」の編集者が、加筆・修正して世に出したそうです。

この経過は「絵本の“パティオ“」さんのブログが詳しいです。

ブログから詩の全文を引用させてもらいました。

「生徒諸君に寄せる」

中等学校生徒諸君

諸君はこの颯爽たる
諸君の未来圏から吹いて来る
透明な清潔な風を感じないのか

それは一つの送られた光線であり
決せられた南の風である

諸君はこの時代に強ひられ率ゐられて
奴隷のやうに忍従することを欲するか

今日の歴史や地史の資料からのみ論ずるならば
われらの祖先乃至はわれらに至るまで
すべての信仰や特性は
ただ誤解から生じたとさへ見え
しかも科学はいまだに暗く
われらに自殺と自棄のみをしか保証せぬ

むしろ諸君よ
更にあらたな正しい時代をつくれ

諸君よ
紺いろの地平線が膨らみ高まるときに
諸君はその中に没することを欲するか

じつに諸君は此の地平線に於ける
あらゆる形の山嶽でなければならぬ
宙宇は絶えずわれらによって変化する
誰が誰よりどうだとか
誰の仕事がどうしたとか
そんなことを言ってゐるひまがあるか

新たな詩人よ
雲から光から嵐から透明なエネルギーを得て
人と地球によるべき形を暗示せよ

新しい時代のコペルニクスよ
余りに重苦しい重力の法則から
この銀河系を解き放て

衝動のやうにさへ行はれる
すべての農業労働を
冷く透明な解析によって
その藍いろの影といっしょに
舞踏の範囲にまで高めよ

新たな時代のマルクスよ
これらの盲目な衝動から動く世界を
素晴らしく美しい構成に変へよ

新しい時代のダーヴヰンよ
更に東洋風静観のキャレンヂャーに載って
銀河系空間の外にも至り
透明に深く正しい地史と
増訂された生物学をわれらに示せ

おほよそ統計に従はば
諸君のなかには少くとも千人の天才がなければならぬ
素質ある諸君はただにこれらを刻み出すべきである

潮や風……

あらゆる自然の力を用ひ尽くして
諸君は新たな自然を形成するのに努めねばならぬ

ああ諸君はいま
この颯爽たる諸君の未来圏から吹いて来る
透明な風を感じないのか”

「紺色のうねりが」の歌詞・挿入歌の意味は?

2つの詩を比較

「生徒諸君に寄せる」と「紺色のうねりが」を見てみると、呼応しているかのような部分がいくつか見られました。

「生徒諸君に寄せる」 「紺色のうねりが」
紺いろの地平線が膨らみ高まるときに
諸君はその中に没することを欲するか
紺色のうねりが のみつくす日が来ても
水平線に 君は没するなかれ
じつに諸君は此の地平線に於ける
あらゆる形の山嶽でなければならぬ
われらは 山岳の峰々となり
未来から吹く風に 頭をあげよ
雲から光から嵐から透明なエネルギーを得て
人と地球によるべき形を暗示せよ
透明な宇宙の 風と光を受けて
広い世界に 正しい時代を作れ

 

「紺色のうねりが」は挿入歌であることから、映画の内容を反映したものとなっています。

「紺色のうねりが のみつくす日が来ても」の描写

「紺色のうねりが のみつくす日が来ても」という描写は、松崎海の船乗りの父のことを連想させます。

海の父は船乗りでしたが、朝鮮戦争の時に乗った船が遭難し、行方不明となったのです。

ちょうどこの作品が2011年7月に上映され、3.11の東日本大震災の後だったことから、この部分が津波を想起させました。

でも、映画の制作はそれ以前に終わっていたでしょうから、やはり海の父親の遭難のことを指している、という解釈がいいような気がします。

また、二つの作品を比較すると、「生徒諸君に寄せる」よりも、「紺色のうねりが」のほうが、生徒に「没するなかれ」「頭をあげよ」「正しい時代を作れ」などと喚起するフレーズが多い気がしました。

それは映画では校歌として歌われていたので、より生徒を鼓舞する意図があったからでしょう。

手嶌葵(てしまあおい)さんの歌う「紺色のうねりが」↓

「紺色のうねりが」

紺色のうねりが 
のみつくす日が来ても
水平線に 君は没するなかれ

われらは 山岳の峰々となり
未来から吹く風に 頭をあげよ

紺色のうねりが 
のみつくす日が来ても
水平線に 君は没するなかれ

透明な宇宙の 
風と光を受けて
広い世界に 正しい時代を作れ

われらは たゆまなく進みつづけん
未来から吹く風に セイルをあげよ

紺色のうねりが 
のみつくす日が来ても
水平線に 君は没するなかれ

引用:歌ネット

「生徒諸君に寄せる」からコロナ禍の状況を考える

一方、宮沢賢治の「生徒諸君に寄せる」で一番心に響いたのが

じつに諸君は此の地平線に於ける
あらゆる形の山嶽でなければならぬ
宙宇は絶えずわれらによって変化する
誰が誰よりどうだとか
誰の仕事がどうしたとか
そんなことを言ってゐるひまがあるか

 

の部分です。まるでコロナ禍にいる2020年の状況を言い当てている気がするのです。

私たち一人一人がしっかりして、人のことを気にせずに(周りの状況に振り回されずに)、高くそびえる山並みのようにしっかりとした形(考え)を作っていけば、コロナの状況も変わってくる、と言われているような気がしました。

そのあとの部分ですが、

・ 新たな詩人よ(文芸に携わる人たち)
・ 新しい時代のコペルニクスよ(天文学・科学に携わる人たち)
・ 新たな時代のマルクスよ(経済学に携わる人たち)
・ 新しい時代のダーヴヰンよ(生物学・地質学に携わる人たち)

と、それぞれの分野の人たちに向けてやるべきことを示唆しています。

そして世界を新しくする時に必要なのが、光や風、潮だというのです。

新しい世界を作るには自然の力を借りることが必要なのですね。

まとめ

今回は『コクリコ坂から』の挿入歌「紺色のうねりが」と、その原案の宮沢賢治の「生徒諸君に寄せる」についてのまとめと感想でした。

今回初めて「生徒諸君に寄せる」と「紺色のうねりが」を知ったのですが、素晴らしい作品に出会えたことに感謝しました。

良質の文芸作品というのは、時代を超えて人々の悩みにアプローチして示唆を与えるものなのだと思います。

>>コクリコ坂からをフルで無料で観る方法はこちら

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です