「モスラの歌」の歌詞や意味は?歌手の ザ・ピーナッツについても!

「モスラの歌」は、昭和36年の怪獣映画「モスラ」の中で、双子のデュオ ザ・ピーナッツによって歌われた歌です。

朝ドラ「エール」の最終日には藤丸(井上希美)と夏目千鶴子(小南満佑子)が、双子のような衣装で「モスラ」を歌いました。

また、長澤まさみと大塚ちひろさんも映画「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ東京SOS」で歌っていました。

古関裕而が作曲した「モスラの歌」についてまとめます。

 

エール古関裕而作曲「モスラの歌」の歌詞や意味は?

4月29日の朝ドラ「エール」の後で『エール 古関裕而の応援歌「モスラの歌」』という番組がありました。

番組では、「モスラの歌」の古関裕而の直筆の楽譜も紹介されていました。

モスラの歌について

こちらがザ・ピーナツが歌った「モスラの歌」です。

モスラはその前に作り出された怪獣ゴジラとは違うキャラクターで話題になりました。

映画『モスラ』の中で小美人(しょうびじん)※が歌う、モスラを呼び出すための歌。作中では架空の島「インファント島」で発見された石碑に書かれた碑文と言う設定である。(ウィキペディアより)

※「小美人は、日本の空想小説『発光妖精とモスラ』及びそれを原作とした特撮映画『モスラ』(1961年、東宝)にて登場する架空の妖精。」(ウィキペディアより)

 

身長約30センチメートルの双子の妖精で、映画では「モスラの歌」を歌っているザ・ピーナッツが演じています。

「モスラの歌」は10代の長澤まさみさんも歌っていました。お隣は東宝シンデレラ出身の大塚ちひろさんです。

お二人は映画「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ東京SOS」に小美人役で出演もしています。

この時長澤さんは16歳、大塚さんは17歳だったそうです。かわいいですね。 ↓

 

モスラの意味

モスラは、1961年公開の東宝映画『モスラ』に登場した、蛾をモチーフとした怪獣です。

ゴジラ、ラドンと並んで「東宝三大怪獣」と言われています。

名前の由来は、蛾を意味する「moth」と母を意味する「mother」を掛け合わせたもので、「蛾の怪獣」という意味と「母性的な怪獣」という意味を持っています。

環境破壊を繰り返す身勝手な人類に警鐘を鳴らしつつも、人類が窮地に陥った時には放っておけずに加勢する優しさを持った怪獣でした。

モスラが生まれた時代背景ですが、冷戦下繰り返された核実験のもと、核の時代の恐怖を背景に生み出されたそうです。

今はコロナの恐怖。モスラのような怪獣が現れて一掃してくれないでしょうか。

モスラの歌詞はインドネシア語だった

番組にはモスラが大好きだという中川翔子さんが出演して「モスラの歌」について話しました。
中川さんは2016年に声優・平野綾さんと共に「モスラの歌」をカヴァーして、ザ・ピーナツのトリビュートアルバムに参加したそうです。
 
中川さんは、「インドネシア語の意味がとても深くて、子ども向けという事だけではなく大人になってから意味が刺さってくる」と話していました。
 
平野綾さんのツイート
 

モスラの歌についてのツイート。インドネシア語の歌詞の意味が深いですね。

モスラの原作「発光妖精とモスラ」

モスラには原作小説がありました。「発光妖精とモスラ」です。中村真一郎、福永武彦、堀田善衛の連作とはすごいですね。

1961年に公開された東宝製作の怪獣映画『モスラ』の原作小説。原案随筆に純文学作家の中村真一郎、フランス文学者の福永武彦、小説家・評論家の堀田善衛の三人が基本的な設定を決めておき序盤を中村、中盤を福永、終盤を堀田が担当する三者連作という日本文学界の≪ドリームチーム≫で検討用シノプシスが書き上げられ、同年1月宣伝の一環として『発光妖精とモスラ』と題して「週刊朝日」において掲載された。刊行にあたってこの小説を元に関沢新一による脚本の第一稿と細部を調整した決定稿も収録されている日本初のファンタジー怪獣小説。(まえすとろさんによる説明)


モスラを歌った歌手のザ・ピーナッツについて

ザ・ピーナッツは昭和30年代以降人気の双子の女性歌手でした。愛知県出身で1941年(昭和16年)4月1日生まれ。

姉の伊藤エミ【本名、澤田日出代(さわだ ひでよ)(旧姓、伊藤)】さんは2012年(平成24年)に、妹の伊藤ユミ【本名、伊藤 月子(いとう つきこ)】さんは2016年(平成28年)に亡くなっています。

歌手としての経歴

伊藤姉妹は高校中退して名古屋市内などで「伊藤シスターズ」として歌っていました。そこで渡辺プロダクション社長の渡邊晋の目に留まり、スカウトされ上京し、宮川泰に歌のレッスンを受けてデビューしました。デビュー曲は「可愛い花」でした。

1959年から1970年までフジテレビ系の歌謡番組『ザ・ヒットパレード』のレギュラーとして活躍、また1961年から1972年まで日本テレビ系の人気バラエティー番組『シャボン玉ホリデー』ではメイン司会を務めました。

1968年から1990年までフジテレビ系列(FNS)で放送された音楽番組『夜のヒットスタジオ』の常連でもありました。

また、海外の『エド・サリヴァン・ショー』(アメリカ)や『カテリーナ・バレンテ・ショー』(ドイツ)、『ダニー・ケイ・ショー』(アメリカ)にも出演したそうです。

伊藤エミは歌手の沢田研二と結婚していた

伊藤エミさんは歌手の沢田研二さんと結婚していました。2012年に離婚しましたが、それ以降も沢田姓を名乗っていたそうです。

沢田研二さんと伊藤エミさんの離婚についてのスポニチの記事はこちら

まとめ

ザ・ピーナッツの歌は本当にうまいです。双子という事もあり、同じ声質で二人で歌うことで一人で歌うのと違った良さがありました。また聴いてみたいですね。

今回は朝ドラ「エール」のモデル古関裕而が作曲した「モスラの歌」についてのまとめでした。

※NHK朝ドラ「エール」の記事はこちら

 

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