おちょやん10週で、千代(杉咲花)たちは千之助(星田英利)が台本を書いた「手違い噺」を演じます。
「手違い話」にはモデルの芝居があるのでしょうか。
実際にある作品なのか調べてみました。
目次
【おちょやん】手違い噺のモデルは?
モデルは曾我廼家十郎作「手」
松竹新喜劇は、1948年12月に大阪の中座で始まりましたが、旗揚げのプログラムの中に、和老亭当郎(わろうていとうろう)こと曾我廼家十郎作の「手」があり、それが「手違い噺」のモデルだと考えられます。
昭和 24 年 1 月の御園座の講演記録では、配役はこのようになっていました。
下男久助(渋谷天外)
斉藤源次郎 妻 実子(浪花千栄子)
泥棒(藤山寛美)
斉藤源次郎(曽我廼家十吾)
医師 南波均(曽我廼家大磯)
芸妓 駒菊(曽我廼家秀蝶)
芸妓 お松(宇治川美智子)
雇婆 お兼(田村楽太)
看護婦 中島(曽我廼家鶴蝶)
医師 加藤(曽我廼家蝶次)
芸妓 千代龍(山本貞子)
芸妓 〆奴(九重京子)
芸妓 市香(曽我廼家寿栄蝶)
食堂の主人 喜平(曽我廼家三郎)
「手」のあらすじ
ある時泥棒が斉藤源次郎の家に忍び込んだが、見つかってしまい、慌てて斉藤源次郎と下男の手を切り落として逃げてしまいます。
源次郎の妻は驚きますが、知り合いの医師のところに行きる攣れてこられた医師は⼿術で二人の⼿を腕につなげます。
ところが医師は間違えて二人の手を逆に付けてしまったのでした。斉藤源次郎の手が下男の腕に付き、下男の手が源次郎の腕に付いたのです。
そのため、源次郎が手を動かすと下男の手が動き、下男が指を噛むと源次郎が痛がることになります。
二人の手の動きが見せどころの芝居でした。
この芝居は後に配役を変えて「手違い噺」と名前を変えて興行されています。
●1985年には、中座で松竹新喜劇の2ヶ月公演があり、夜の部の最終に「手違い噺」がありました。この時は以前泥棒役を演じていた藤山寛美さんが下男役で出演していました。
引用:https://www.shochiku.co.jp/shinkigeki/koen/2588
藤山寛美さんについては、こちらに書いています ↓
松竹新喜劇のスター藤山寛美とは?おちょやん渋谷天外(一平のモデル)との関係も
「おちょやん」での「手違い噺」
「おちょやん」では曽我廼家十吾がモデルの須賀廼家千之助(星田英利)が「手違い噺」の台本を書き、「鶴亀家庭劇の旗揚げ公演で演じられました。
本当は座長の一平は「母に捧ぐる記」という台本を書いていたのですが、千之助に却下されたのでした。
芝居当日、千之助のアドリブで客席は笑いに包まれますが、一平(成田凌)は「俺がやりたいのは、あれやない」とつぶやきます。
千之助の書いた「手違い噺」は、手が入れ違うところは同じですが、手が入れ違って浮気がばれた男の話になっていました。
まとめ
「おちょやん」で、「手違い噺」のモデルについて見てきました。
「松竹新喜劇」の旗揚げ公演で興行された曾我廼家十郎作の「手」がモデルと分かりました。
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