【エール】高梨一太郎役の俳優は誰?ノゾエ征爾の経歴と売れっ子作詞家のモデルについても

 

 

朝ドラ「エール」で、ヒット曲に恵まれない裕一(窪田正孝)は、木枯(野田洋次郎)から売れっ子作詞家の高梨一太郎を紹介されます。

高梨一太郎を演じる俳優は誰なのでしょう?

【エール】高梨一太郎役の俳優は誰?

高梨一太郎を演じるのは、ノゾエ征爾(のぞえせいじ)さんです。

高梨一太郎は裕一の「福島行進曲」を聞いて、自分が作詞した「船頭可愛いや」に曲をつけて欲しいと頼みに来たのでした。

高梨はすでにヒット曲「酒は涙か溜息か」を出していた売れっ子作詞家だったのです。


ノゾエ征爾の経歴

ノゾエ征爾さんは1975年岡山県生まれの劇作家、演出家、俳優です。 劇団はえぎわを主宰しています。事務所は舞プロモーションに所属。

8歳までサンフランシスコで過ごし、サレジオ学院中学校・高等学校を経て、青山学院大学経営学部を卒業しています。在学中に演劇を始めました。

1998年、松尾スズキ氏のゼミを経て99年にユニット「はえぎわ」を始動し、全公演の作・演出を手がける。2001年に「はえぎわ」を劇団化しました。

2012年に第23回はえぎわ公演『○○トアル風景』の脚本が第56回岸田國士戯曲賞を受賞しました。

2014年には初の主演映画「TOKYOてやんでぃ」が公開されました。

2016年12月には、さいたまスーパーアリーナで、故・蜷川幸雄の意を継ぎ、高齢者1600人出演「1万人のゴールド・シアター2016」の脚本、演出を手がけたそうです。

特技は、英語、ダンス、ギター、ベース、トランペット、バレーボール、バスケットボールだとのこと。

2016年に松尾スズキ翻訳「ボクの穴、彼の穴。」を演出した時のコメント

「戦争」×「現代日本で生きる僕らの身体」から、改めて、人間の儚さ、愚かさ、おかしさ、そして何よりも愛おしさを抽出できたらと思っています。それは、僕らにとってものすごく大切なもので、何度気付いても、何度も忘れてしまうものです。
そうしてまた戦争がはじまっていくわけですが。

塚田さん、渡部さんの、その瑞々しい、現代の若者の身体と感性に、すごく期待が膨らんでいます。絵本原作の今作に、お二人の人間味を表出できたらと思っています。

翻訳の松尾スズキさんは、僕の師匠と言える方です。松尾スズキさんのゼミをきっかけに、本格的に演劇をはじめました。以降、何度となくお世話になり、昨年は松尾スズキさんの絵本を舞台化させていただきました。松尾さんが手がけた作品をこうしてまた舞台化させていただけることに、思いが強まらないわけはありません。

しかもそれが、パルコ劇場最後の期間にです。加えて、初のパルコ劇場です。パルコ劇場、無謀です。これだけの歴史ある劇場さんが、これだけの無謀を冒しているのです。その褪せない開拓心に感銘を受けました。などと悠長なことは言わず、精一杯“演劇”と戯れたいと思っています。

引用:ステージナタリー https://natalie.mu/stage/news/182475

舞台「母を逃がす」のお知らせツイート。この舞台はコロナウイルスの影響で中止となりました。 ↓ ↓


主な演出、出演作品

『鳥ト踊る』
『寿、命。ぴよ』
『春々 harubaru~ハスムカイのシャレ~』(第55回岸田國士戯曲賞最終候補ノミネート)
『ガラパコスパコス~進化してんのかしてないのか~』
『◯◯トアル風景』(第56回岸田國士戯曲賞受賞)
『サニーサイドアップ』

近年の映画・テレビ出演作品

2013 映画「TOKYOてやんでぃ」 主演・立花亭ピカッチ 役
2014 映画「FORMA」 長田修 役
2019年 「土曜ナイトドラマ『東京独身男子』」(テレビ朝日) 加藤泰司 役
2019年 「大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」」(NHK総合)松内則三 役

 

ノゾエ征爾のプロフィール

家族関係やエピソード

ノゾエさんはブログでお子さんの写真を載せていることから、ご結婚されていてお子さんもいらっしゃるようです。家に赤ちゃんがいる、と書かれているので、2人のお子さんがいらっしゃるのかもしれません。

名前の由来

ノゾエ征爾さんの「征爾」は本名のようです。小澤征爾さんの名前からとったとお父様のお知り合いがブログで書かれていました。(参考:http://coachhide.blog73.fc2.com/blog-entry-3218.html)

「ノゾエ」については分かりませんでした。漢字をカタカナに変えたのでしょうか。

子どものころ

ノゾエさんは、商社勤務のお父様の都合で3歳から8歳までサンフランシスコに住んでいたそうです。

2つ上のお兄さんとは家の中でも英語で話していましたが、ご両親からは、帰国後のことを考えて、日本語も勉強するように言われたそうです。

週末にホームパーティーをやることが多く、そこで寸劇やコントをやるのが好きだったという事です。

また、お母さまは絵を描いたり、凝った料理を作るのが好きだったようです。あるとき帰宅したら家の中が真っ白に塗られていたことがあったり、アメリカで豪邸を貸してくれるという誘いに乗って引っ越したこともあったらしいです。

一方お父様は厳しい方で手が出ることもあったようですが、ノゾエさんが大人になってからはとてもやさしくなったようですよ。

「はえぎわ」旗揚げまでと今後

浪⼈時代に、CS放送の「シアターチャンネル」で野⽥秀樹さん、三⾕幸喜さんたちの舞台を映像で観て面白いと思いましたが、大学に進学した時は、お兄様の影響で映画サークルに入ろうと思っていたそうです。

しかし青山大学の演劇サークルの新⼊⽣歓迎公演を観ると、衝撃を受けてすぐに入部、演劇に打ち込みました。同時に小劇場の演劇を片っ端から観たそうです。

松尾スズキさんの指導を受けて、1999年5⽉に「はえぎわ」を⾃ら主宰して旗揚げしました。「はえぎわ」という名前についてはご本人も由来が分からないそうです。

ただ以下のようなネット情報もあります。

劇団名の由来は「生え際」からで、「一般的に(主に男性ですが)、生え際は後退します。後退したのち、頭部が光ります。つまり、のちのち光る。つまり“大器晩成”」という願いが込められている。

引用:ウィキペディア 

舞台では独自の路線で誰もやっていないことに挑戦しようとしているようです。揺れる舞台を作ったり、隔離されたトイレのような空間を中心にお芝居を作ったりもなさっています。

最近は海外戯曲の演出や高齢者施設での巡回公演、地方での演劇創作の他、映像作品など活動の場を広げているようです。海外で講演したい気持ちもあるそうで、今後世界でも活躍してほしいですね。

売れっ子作詞家⾼梨⼀太郎のモデルについて

⾼梨⼀太郎(たかなしいちたろう)のモデルは⾼橋掬太郎(たかはしきくたろう)です。

⾼橋掬太郎は、法華綺堂根室に生まれ、新聞社に勤めながら文芸活動を始めました。大正15年に「函館音頭」(鳥羽屋三十郎作曲)を作詩したのが最初の歌謡作品でした。

昭和5年、友人片平庸人が発行する民謡雑誌に「酒は涙か溜息か」を発表し、「私この頃憂鬱よ」を加えた2篇を新進作曲家古賀政男を指名してコロンビアレコードへ送りました。昭和6年に「酒は涙か溜息か」(歌手藤山一郎)、「私この頃憂鬱よ」(歌手淡谷のり子)を古賀政男の作曲でコロンビアレコードから発表し、大ヒットとなりました。

古関裕⽽とは「利根の⾈唄」と「河原すすぎ」の2曲を⾼橋掬太郎作詞、古関裕⽽でレコード化しています。「利根の⾈唄」で古関裕⽽は⽇本コロムビアと専属契約後4年⽬にしてやっとヒットを出すことができました。

また、⾼橋掬太郎は昭和10年に「船頭可愛や」を作詞し、古関裕⽽が作曲します。歌は下駄屋の主婦から歌⼿になった⾳丸が歌い、26万枚の⼤ヒットとなりました。


まとめ

今回は、「エール」10週目で登場する⾼梨⼀太郎を演じるノゾエ征爾さんについて、また、⾼梨⼀太郎のモデル⾼橋掬太郎についてまとめてみました。

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