【エール】ベルトーマス羽生のモデルは?ベルトラメリ能子の経歴についても

朝ドラ「エール」19週でベルトーマス羽生(はにゅう)が登場、広岡由里子(ひろおかゆりこ)さんが演じています。

ベルトーマス羽生(はにゅう)のモデル、ベルトラメリ能子(べるとらめりよしこ)について調べてみました。

 

ベルトーマス羽生のモデルはベルトラメリ能子

ベルトーマス羽生にはモデルがいます。

昭和時代の声楽家・ベルトラメリ能子(べるとらめりよしこ)です。

ベルトラメリ能子の経歴

ベルトラメリ能子は1903年(明治36年)茨城県多賀郡平潟町(現・北茨城市)で生まれました。

こちらから歌声が聞けます ↓

旧姓は鐵(てつ)といい、鐵家は地元の名士で水産業をしていましたが、地元を引き上げ東京に行きます。

能子は東京音楽学校(現・東京芸術大学)に進学します。

突行後アドルフォ・サルコリに師事、ベルカント唱法を学びました。三浦環も同様にアドルフォ・サルコリの生徒でした。

その後高輪尋常小学校で教師をしながら山田耕筰に師事しました。

1922年オペラ研究のため、イタリアに留学します。ナポリのファボリタ宮殿で初めての独唱会を開いています。

ローマでイタリアの詩人アントニオ・ベルトラメリと恋におち、1928年結婚。印象的なベラトラメリという名は、本名だったのですね。

結婚後歌をやめていましたが、2年後に夫と死別したのを機に、再び活動再開します。

帰国して日本コロムビア専属歌手となり独唱会を開きました。

1932年再びイタリアに行きますが1935年に帰国してからは鎌倉に住み、ベルカント唱法の日本普及に努め、国立音楽学校の教授にもなっています。

昭和27年には常北中学校校歌発表会で歌いたそうです。能子さんの歌声は、質の柔らかい澄明な美声で、人々を魅了したという事です。

1973年に70歳で亡くなりました。

北茨城市の著名人

ベルトラメリ能子さんは、北茨城市出身で、北茨城市をつくった先人のひとりとして、地元の人たちに知られています。

●北茨木市のJR磯原駅東口にある「ふれあい公園」内にはベルトラメリ能子の石碑があり、経歴が記されています

●北茨城市歴史民俗資料館ホームページにはこのように記述があります。

明治から大正にかけて、日本美術院の五浦移転を始めとして、童謡詩人野口雨情、日本画家飛田周山、声楽家ベルトラメリ・能子など優れた芸術家を輩出しました。

●ご当地検定「いばらきっ子郷土検定」の問題にされるほどの人物でもあります。

「平成28年度いばらきっ子郷土検定練習問題解答と解説」より

ベルトラメリ・能子(よしこ)は昭和時代の声楽家(ソプラノ歌手)です。明治36年4月1日生まれ。東京音楽学校(現東京芸大)卒業後、大正11年イタリアに留学し、F.ラビアらに学びました。作家A.ベルトラメリと結婚したが、死別。帰国後ベルカント唱法の日本普及に貢献しました。北茨城市平潟町の出身です。

地元では著名人として良く知られた人物だと分かりますね。

エールでの役どころ

「エール」でベルトーマス羽生は、喫茶バンブーの常連客で、戦後再び歌を始める音(二階堂ふみ)の先生になります。

レッスン初日に羽生の友人だという人物が現れました。それはなんと占い師に転職した御手洗ミュージックティーチャー(古川雄大)だったのです!

3人お揃いで! 華やかですね ↓

古関金子との関係

小山音(二階堂ふみ)のモデル・古関金子は、ベルトラメリ能子に師事し、能子は金子の才能を認めて「自分の後継者」とまで言っていたそうです。

実際のベルトラメリ能子さん ↓

まとめ

朝ドラ「エール」で広岡由里子(ひろおかゆりこ)さんが演じるベルトーマス羽生のモデル・ベルトラメリ能子についてのまとめでした。

御手洗ミュージックティーチャーも再び登場で、またお茶の間をわかせてくれそうですね!

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