【エール】国防婦人会とは?班長や組織の活動内容についても

朝ドラ「エール」は15週に入り、戦時中の話になってきました。

9月22日の「エール」では、音(二階堂ふみ)と姉の吟(松井玲奈)の会話に「国防婦人会」が出てきます。

「国防婦人会」とは、どんな組織だったのでしょうか。

 

【エール】国防婦人会とは?

「国防婦人会」は、1932年から1942年まで存在した日本の婦人団体で「国婦」とも呼ばれていました。

割烹着と白タスキが特徴です。

どんなことをしていたかというと、出征兵士の見送りや慰問袋の作成などを行いました。

大阪から始まる

始まりは、大阪に住む主婦らが、出征兵士らにお茶を振舞ったのが始まりとされています。

「国防は台所から」というスローガンのもとに軍も支援し、「大日本国防婦人会」となり、全国に拡広がりました。

班長や組織の活動内容について

班長は組織の取りまとめ役

朝ドラ「エール」では、婦人会の班長・佐々木克子が出てきます。

佐々木克子役は峯村リエさんが演じていました。はまり役でした。

峯村さんについてはこちらの記事にあります↓

【エール】国防婦人会の班長役は誰?峯村リエの経歴や出演作品についても

「竹槍作り」や「包帯巻き」などの講習会を開いたり、婦人たちをまとめて鼓舞し、お国のためと様々な活動を率先して行っていました。

婦人会に参加しない女性を調べて、参加するように会員に勧誘させます。

やる気のない会員には厳しいところもあり、音は苦手のようでした。

活動内容

主な活動は以下です。

・出征兵士の見送り
・留守家族の支援
・傷病兵や遺骨の出迎え
・慰問袋の調達と発送
・兵営や陸軍病院での洗濯
・防空演習

引用:Wikipedia

慰問袋とは?

慰問袋(いもんぶくろ)とは、戦地にある出征兵士などを慰め、士気を鼓舞するために、日用品などを入れて送った袋のことです。

ハワイのパールハーバー・アリゾナ博物館に行った時に、日本軍兵士の持ち物が展示されていて、その中に手作りの人形がありました。

当時はお守り人形として、郷土人形やマスコット人形を女学生が手作りして送ることがあったそうです。

説明に、「大日本帝国陸軍パイロットの飛行メガネ、革製非行防止、絹の飛行マフラー、航空覆面、マスコット人形」とあります。

戦地の兵士たちはまだ二十歳そこそこで、手作りのお守り人形に癒されていたのでしょう。手垢で黒くなった人形を見て涙が出ました。

慰問袋の中には、他に、日用品(ちり紙、手拭い、石鹸など)、衣服(シャツ、腹巻きなど)、食料品、薬品、写真、絵画、お守り札などだったそうです。

女性解放の一面も

それまで家にしばりつけられ、自由な外出もできにくかった女性たちが、国婦活動を理由に外出できるようになり、また、活動を通して家だけではない社会参加活動に目覚めるものもいて、女性解放に一躍買ったのではないか、という見方もあります。

戦争本格化後は大日本婦人会に

戦争が本格化すると、防空演習や労力奉仕など割烹着では動きにくいことからもんぺにとってかわられ、国婦は他の婦人団体と統合され「大日本婦人会」(1942年~1945年)となりました。

 

 

エールで吟や音も婦人会に参加

吟と音が朝食を作りながら話をする場面↓ 歌広場淳さんのツイッターから↓

吟は陸軍に勤めている軍人の妻ですから、国防婦人会などの活動には率先して参加しています。

おしゃれだったかつての姿は影を潜め、化粧もせずに戦時体制に臨んでいるようです。

地元で大日本帝国婦人会班長の佐々木克子のもと、国防活動に積極的に参加しているのでした。

9月22日の放送で、国防婦人会の活動に参加しない音に苦言を言う場面がありました。

音はそう言った活動が苦手のようです。

吟が音に、国防婦人会に出席するように言うと、音は「苦手だし、班長さんが怖そう」と言います。

音は吟の前では子どものようになってしまうのですね。

吟が「そんな、子どもみたいなこと言って」と言うと、音の娘の華が、「お母さん、子どもじゃないよ」と言います。

吟は子どもがいないので、娘がいる音を羨ましく思っているようです。

夫の智彦がごはん支度を手伝う華を褒めるのも、音が音楽教室を始めるのもあまり快く思っていないようでした。

吟は長女としての責任感が強く、家を守るためにお見合いを繰り返し、軍人の智彦と結婚したのです。

 

まとめ

今回は話の中に出てきた「国防婦人会」について見てきました。

だんだん戦争の色が濃くなってきましたね。

裕一や音も戦争の波にのまれていくようです。

 

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