志村けんさんが朝ドラ「エール」の73話(9⽉23⽇)と79話(10月1日)に出演しました。
まだ収録が残っていたのですね。うれしいです。
志村けんさんは、「エール」で小山田耕三役を演じています。
小山田耕三は、作曲家山田耕筰がモデルだと言われています。
今回は、志村けんさんの出演場面について探ってみたいと思います。
目次
志村けんエールに再び登場!
志村けんさんが登場するのは、73話(9⽉23⽇)でした。これが最後の出演ではないかと思ったら、10月1日にも出演シーンがありました。
陸軍幹部の訪問を受けている場面の写真が、NHKのHPに載っています。
https://www.nhk.or.jp/yell/story/week_15.html
陸軍幹部を演じているのは、野添義弘(のぞえよしひろ)さんです。
二人の間にどんな言葉が交わされるのでしょう?
9月23日と10月1日の出演場面や演技についても
9月23日の出演場面
志村けんさんが出演したのは、番組の終わりのほうでした。
陸軍幹部が「暁に祈る」の歌詞を古山裕一に依頼したことを伝えます。
小山田耕三は、「彼はまだ経験が浅いからな」と言います。
幹部は、「彼(古山裕一)のような若造が作った曲より、私は小山田先生の作る、愛国歌曲のほうに共感します」と言い、これからも軍部に協力してくれるよう頼みます。
小山田は、「もちろんです」と言い「私自らの音楽人生をこの日本国に捧げる覚悟です!」と言って二人は固い握手を交わすのでした。
10月1日の出演場面
小山田耕三は、戦争中に音楽挺身隊を結成しています。
これは小山田耕三のモデルである山田耕筰が実際に作ったもので史実をもとにしています。
音楽挺身隊は戦時中に軍需工場や戦時産業に関わる施設を訪れ、合唱で戦意高揚を促すなどの慰問行為を行いました。
79話で志村けんさん演じる小山田耕三は、音楽挺身隊に新田に参加したの名簿を見て、「小山音」と名前があるのに目を止めます。
秘書が「古山裕一氏の奥さまです」と説明すると、何かを思い浮かべるような表情をしていました。
小山田耕三にとって、古山裕一はとても気になる存在だったようです。
ただ、これについては史実とは違っているようです。実際は山田耕筰が、古山裕一をライバル視していたという事実は特になかったようで、創作が入っているようです。
演技について
小山田耕三は、古山裕一の才能を認めていたけれども、一方で自分の地位を脅かすのでは、と恐れてもいました。
今回の場面でも、裕一が有名になったことを快く思っていない様子がうかがわれました。
それが、積極的に戦争協力へと向かう一因でもあったのでしょうか。
志村けんさんは、ここでもいぶし銀のような渋く力強い演技で私たちを楽しませてくれました。
モデルの山田耕筰について
戦時中は軍部に協力
1941年(昭和16年)、情報局管轄下の「日本音楽文化協会」が発足しますが、山田耕筰は副会長に就任します。
また音楽挺身隊を結成してしばしば占領地での音楽指導にも携わりました。
1942年(昭和17年)に帝国芸術院会員に選出され、1944年(昭和19年)には日本音楽文化協会会長となります。
戦争に協力したことで地位を固めたようです。軍歌や戦時歌謡も多数作曲しました。
戦争中は将官待遇となり、しばしば軍服姿で行動します。そのため後の「戦犯論争」の槍玉に挙げられることとなりましたが、特に糾弾はされなかったようです。
戦後も、1950年(昭和25年)、日本指揮者協会会長に就任、また放送文化賞受賞、1956年(昭和31年)には文化勲章を受章しています。
まとめ
今回は、志村けんさんが朝ドラ「エール」の73話(9⽉23⽇)と79話(10月1日)に出演することから、その内容について見てきました。
本来ならばもっと出演されて戦時下での姿なども見られたのかと思うと残念でなりません。
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