朝ドラ「エール」97話で、裕一(窪田正孝)と鉄男(中村蒼)は久しぶりに久志(山崎育三郎)と再会します。
藤丸に連れられて様子を見に行くのです。藤丸は酒浸りになった久志の面倒を見ていたのでした。
こちらでは、藤丸のモデル・音丸について見ていきたいと思います。
目次
【エール】藤丸のモデルは音丸
藤丸のモデルは音丸(おとまる)です。
引用:Wikipedia
本名は永井 満津子で、1906年に老舗の履物屋の一人娘として東京の麻布で生まれました。
音丸の経歴
祖母は常磐津の名取りで、音丸が6歳になると常磐津と舞踊を習わせました。
25歳の時に弟を亡くしノイローゼになりますが、民謡を歌うことで気持ちが晴れて病気が快方に向かったそうです。歌に救われたのですね。
尺八の菊池淡水が指導に来ている民謡の会に出席すると美声に感心した菊池淡水が音丸をリーガルレコードに推薦し、本名で「草津湯もみ唄」を吹き込みました。
そのレコードを聴いた古賀政男が音丸をテイチクに誘ったそうです。
芸者を装いレコードを吹き込む
その頃は小唄勝太郎、市丸、赤坂小梅などの芸者歌手が一世を風靡していました。しかし芸者は地方巡業で莫大な花代がかかるので、芸者ではない歌い手を芸者のように装わせて歌わせることがあったそうです。
「エール」では萬龍と言う芸者さんの写真が登場しましたね。明治末に「日本一の美人」と謳われ、人気を博した芸妓さんのようです。
芸者・萬龍についてはこちらの記事にあります。
永井満津子は音丸の芸名で歌うようになりました。音丸の由来は「音は丸いレコードから」という洒落にちなんで名付けられたそうです。
1935年に「船頭可愛や」が大ヒットします。「エール」では全く売れなかったことになっていますが、実際はこの曲で歌手として成功をおさめたのですね。
音丸のその後
音丸は「船頭可愛や」をヒットさせてからどうなったのでしょうか。
実際は「船頭可愛や」以降も順調にヒット曲を歌っていました。
1936年には「下田夜曲」 「博多夜船」が大ヒット。当時人気だった小唄勝太郎や市丸などの芸者歌手を向こうにまわして人気を獲得しました。
次第に出演依頼やレコードの吹き込み、ラジオ・映画の出演に多忙となり家業の下駄屋は人手に委ね、下駄屋の養子となっていた夫とも協議離婚し歌一筋の道を歩み始めました。
1948年にはキングレコードに移籍し、「五木の子守唄」を見つけ出して同曲をレコーディングもしています。
1972年にはステレオ録音で往年のヒット曲を吹きみましたが、この頃から視力が低下し活動が制限されるようになりました。
1976年に世田谷区のマンションで急性心不全により亡くなりました。69歳でした。
史実とエールとの違い・音丸が歌った船頭可愛やについて
藤丸が歌った「船頭可愛や」は全く売れずに裕一(窪田正孝)はディレクターの廿日市からコロンブスレコードの契約を切られそうになります。
音丸(ドラマでは藤丸)が歌った「船頭可愛や」は本当に売れなかったのでしょうか?
実際は大ヒット
実際は、1935年に音丸が歌った「船頭可愛や」は大ヒットしています。古関裕而はこの曲でやっとヒットをつかみ、コロンビアレコードをクビにならずに済んだのでした。
ドラマでは古山裕一(モデルは古関裕而)が「船頭可愛や」を作曲して売り出すも全く売れずに、双浦環(モデルは三浦環)が歌って大ヒットしたことになっていますが、これはドラマの演出で、史実とは異なっているようです。
実際は三浦環が音丸の「船頭可愛や」を聴いて気に入り、古関裕而に、自分も歌わせてくれないかと頼んでレコード化されたようです。それだけ人の心を打ついい歌だったという事ですね。
「船頭可愛や」は他にも美空ひばりさんが歌ったり、台湾人歌手の郭金發さんや林翠萍さんがカバーしています。
三浦環が船頭可愛やを歌ったいきさつ
当時三浦環は、1903年に日本人による初めてのオペラ公演に出演し、成功を収めました。1904年に声楽を教えるようになり、山田耕筰らを指導しました。
山田耕筰はドラマでは小山田耕三と言う名前で志村けんさんが演じています。三浦環が山田耕筰の先生だったならば、小山田耕三が双浦環のレコード吹き込みを反対するのはおかしいですね。
なのでドラマの筋書きにある、三浦環のレコード化を反対したというのは実際にはなかったことなのではないかと思われます。
三浦環はその後ドイツに留学し、イギリスでデビュー、アメリカに渡り、当たり役である「蝶々夫人」で世界的に有名になります。
シチリア島パレルモで「蝶々夫人」出演2000回目を達成したのを機に永住帰国を決断し、1935年11月に帰国しました。ちょうどその時に流行っていた音丸の「船頭可愛や」を聞いて感動し自分でも歌いたいと思ったようです。
こうして古関裕而と双浦環は家族ぐるみの付き合いをするようになったそうです。
↓ ↓ 志村けんさんと柴咲コウさん、こんな写真があったとは!貴重なショットだと思います。
志村さんの笑顔素敵です❗️
#エール#朝ドラエール pic.twitter.com/aaCscRh1Qj
— 翔 (@aq_ri7) June 2, 2020
まとめ
今回は藤丸のモデル音丸について、また史実との違いを書いてみました。
「船頭可愛や」を歌った藤丸(井上希美)が、レコードが売れなかったことに落ち込む場面で、久志(山崎育三郎)が壁ドンしながら慰めていました。藤丸の目がハートに。
二人は付き合うようになりますが、戦後は久志が酒浸りで藤丸は苦労するようです。
※藤丸役を演じる井上希美さんについての記事はこちらです。
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