2020年後期の朝ドラは「おちょやん」ですね。
コロナ禍の影響で、開始は11月30日(月)と、当初の予定から変更になっています。
ヒロイン竹井千代(たけいちよ)を杉咲花(すぎさきはな)さんが演じるのも楽しみです。
こちらでは武井千代のモデルの浪花千栄子(なにわちえこ)さんについて調べてみました。
【おちょやん】竹井千代のモデルは誰?
武井千代のモデルは、浪花千栄子(なにわちえこ)さんです。
引用:松竹新喜劇公式サイト
浪花さんと言えばオロナイン軟膏のCMですね。なんといっても本名が南口キクノ(なんこうきくの)ですから。
引用:昭和ガイド
プロフィール
本名 | 南口 キクノ |
生年月日 | 1907年11月19日 |
没年月日 | 1973年12月22日(66歳没) |
出身地 | 大阪府南河内郡大伴村(現・富田林市東板持町) |
芝居を始めたころは香住千栄子(かすみちえこ)の芸名でしたが、その後浪花千栄子(なにわちえこ)として活躍することになります。
浪花千栄子の生い立ち
浪花千栄子さんは、大阪府南河内郡大伴村(現・富田林市東板持町)に、養鶏業を営む家に生まれました。
8歳で女中奉公
5歳の時に母親が亡くなり、父の後妻に家を追い出されたため、8歳で道頓堀の仕出し弁当屋に女中奉公に出ることになります。
幼いながらも弁当箱を洗ったり、15キロものご飯を炊いたり、子守に使い走りと休む暇なく働きました。
そこでは8年間努めましたが、父が金の無心に来たことから辞めて、作り酒屋や材木屋で働きます。
しかし父はそこにも金の無心に現れるのでした。
材木屋の奥さんは見かねて千栄子に賞与を与え、千栄子は18歳で父親から離れるため大阪を後にします。
18歳で芝居を始める
その後、京都で女給として働いていましたが、知人の紹介で村田栄子一座に入り芝居を学び、舞台に立つようになります。
東亜キネマなど映画出演も経験しました。
23歳で「松竹家庭劇」に入団
23歳の時に喜劇劇団「松竹家庭劇」に入団、同年、旗揚げメンバーのひとりである2代目渋谷天外と結婚しまた。
劇団の看板女優として活躍しましたが夫の不倫により離婚、劇団を去りました。
その後ひっそりと身を潜めて生活します。
再び芝居の世界に
千栄子の才能を惜しいと思っていたNHK大阪放送局のプロデューサー富久進次郎が行方の分からなかった千栄子を探し出し、再び芝居の世界に舞い戻ります。
NHKラジオ『アチャコ青春手帖』に人気漫才師・花菱アチャコの母親役で出演し人気を博しました。
映画女優として成功
大阪弁と軽妙な演技で数々の映画作品にも出演し、映画女優としての地位を築きます。
代表作に『祇園囃子』(溝口健二監督)、『蜘蛛巣城』(黒澤明監督)、『夫婦善哉』(森繁久彌と共演)などがありました。
1973年(昭和48年)、消化管出血のため66歳で死去しました。
浪花千栄子の経歴
主な映画出演作品
●1953年 祇園囃子
●1954年 山椒大夫
●1954年 女の園
●1954年 二十四の瞳
●1054年~ お父さんはお人好しシリーズ
●1956年 猫と庄造と二人のをんな
●1958年 彼岸花
ラジオドラマ
●1954-65年 お父さんはお人好し花菱アチャコ、浪花千栄子のコンビによる上方人情ドラマ
こちらは映画のスチール写真 ↓
エピソード
両親と死別し、幼いころから女中奉公など働いたため学校に通うことができず、長く字が読めませんでした。
その後自らの努力で読み書きを習い、文盲から脱したそうです。
後に自伝も書いています。
SNSより画像や動画
ファンの方のツイート。浪花さんの写真がたくさん!
The Great Actress Chieko Naniwa!「おちょやん」が始まるまで浪花千栄子讃ツイートを度々致します。というか、「おちょやん」なくてもやりますが。 pic.twitter.com/4ysJuFjo5w
— steward (@stewardtokyo) October 30, 2019
画像や動画もありました!
映画「彼岸花」は、初のカラー作品だったそうです ↓
歯切れのいいしゃべり方が特徴ですね ↓
竹の話をする浪花さん ↓
まとめ
2020年後期の朝ドラ「おちょやん」のヒロイン武井千代のモデルの浪花千栄子さんについてご紹介しました!
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