【エール】記者・大倉憲三のモデルは?野呂信次郎の経歴や古関裕而との関係も

朝ドラ「エール」では、いよいよ裕一が「栄冠は君に輝く」を作曲する話に入ります。

裕一は、戦争中ビルマの慰問活動で一緒だった記者の大倉憲三(片桐仁)から、全国高等学校野球選手権大会の曲づくりを依頼されます。

大倉憲三のモデルとされる野呂信次郎について調べてみました。

【エール】記者・大倉憲三のモデルは?

大倉憲三のモデルは、朝日新聞社の野呂信次郎(のろしんじろう)だといわれています。

古関裕而氏の自伝に、「栄冠は君に輝く」の依頼が朝日新聞学芸部の野呂信次郎からだったことが書かれています。

野呂信次郎と古関は戦時中からの知り合いでした。

「エール」の大倉憲三役の片桐仁さんについてはこちらに書いています ↓

>>【エール】従軍記者・大倉憲三役の俳優は?片桐仁の経歴や家族についても


野呂信次郎の経歴や古関裕而との関係も

野呂信次郎は1909年に静岡県で生まれました。音楽評論家として知られています。

青山学院神学部を卒業後、朝日新聞社に入社します。音楽関係を主に担当し、記事の執筆のほか合唱コンクールの運営や審査に携わりました。

のちに武蔵野音楽大学でも教鞭を取ります。妻は東京芸術大学名誉教授・ピアノ奏者の野呂愛子さんです。

野呂信次郎の「名曲物語」

野呂信次郎さんは「名曲物語」という本を書いているのですが、それが面白い、と評判です。

古関裕而との関係

古関裕而は、インパール作戦の特別報道班員としてビルマに派遣しましたが、その時に朝日新聞社から野呂信次郎が同行しています。

「エール」の中でも、片桐仁さん演じる大倉憲三が、ビルマで裕一と一緒にいて、藤堂先生が近くの舞台にいることを裕一に知らせていましたね。

野呂信次郎は古関裕而を知っていたこともあり、後に朝日新聞が全国中等学校野球大会の歌を新しく作ろうとしたときに、古関に曲を依頼したものと思われます。

「栄冠は君に輝く」について

全国高等学校野球選手権大会は、1915年に全国中等学校優勝野球大会として始まりました。

朝日新聞社と日本高等学校野球連盟(高野連)が兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で毎年8月に主催しています。

甲子園球場はは高校野球の聖地として高校球児たちの憧れの舞台となっています。

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