【エール】ビルマ派遣軍の歌とは?藤堂先生(森山直太朗)の歌声と歌唱力がすごい!

 

 

藤堂先生のいる前線への慰問を希望した裕一(窪田正孝)は、希望が認められ、藤堂先生に会うことができました。

そこで、楽器のできる兵隊を集めてにわか楽団を作り、ビルマ派遣軍の歌を演奏します。

「ビルマ派遣軍の歌」について調べてみました。

【エール】ビルマ派遣軍の歌とは?

「ビルマ派遣軍の歌」は、前線に行く作家・火野葦平が古関裕而に曲をつけてくれ、と詞を託した作品です。

古関裕而は、ラングーンで流行り病におびえながらも曲を書きあげました。

兵隊の士気を上げるための曲です。

ドラマではさらに発展した展開となっていて、近くにいた藤堂先生の部隊に裕一が慰問に行き、曲を演奏しています。

裕一は、この曲を演奏しようとあるだけの楽器を持って行くのでした。

楽器のできる兵隊でにわか楽団を作り、練習します。

ドラマの中で楽器を演奏した兵隊たちは、従軍前は楽団やダンスホールで演奏していました。久しぶりの楽器演奏に嬉しそうです。

歌は藤堂先生が歌うことになります。(戦争中の暗い話題の中、藤堂先生役の森山直太朗さんの歌声が聞けたのはありがたいことでした)

コンサートを開く

翌日にコンサートを開くことになり、夜は酒を酌み交わして楽しい時間をすごします。

コンサートの準備がすすみ、本番前の最後の練習をしようとしたときに銃声がして、兵隊が倒れるのです。

前日裕一は藤堂先生に奥さんあての手紙を託されていました。

「ビルマ派遣軍の歌」は火野葦平が古関裕而に託したもの

「ビルマ派遣軍の歌」の出だしはこのようになっています。

詔勅のもと 勇躍し
神兵ビルマの 地を衝けば
首都ラングーンは 忽ちに
我が手に陥ちて 敵軍は
算を乱して 潰えたり
宿敵老獪 英国の
策謀ここに 終焉す
勲燦たり ビルマ派遣軍

引用:『鐘よ鳴り響け』

「ビルマ派遣軍の歌」は、実際に、作家・火野葦平(ドラマでは水野伸平)が前線に行く時に古関裕而に詞を託したものです。

この時、火野葦平は前線の実態を知らなかったので、このような意気揚々たる詞を書いたのでしょう。

火野葦平は報道班員として、戦争の実態を赤裸々に知らせることに全力を尽くそうとして、志願したようです。

しかし、実態は悲惨なもので、それを「従軍手帖」に書き込み、戦後、小説として発表します。

「ビルマ派遣軍の歌」については、こちらの本に詳しく書かれています ↓

 

藤堂先生(森山直太朗)の歌声と歌唱力がすごい!

森山直太朗さんが歌ったことでツイッターで喜びの声がたくさんありました。

いままで「エール」の中で歌うことはほとんどなかったので、最後に聞けましたね。

インタビューで、森山さんはこの場面で歌うことについてこのように話しています。

どういうふうに歌おうかと、すごく悩みました。戦地で心身をすり減らすと、なぜ殺し合わなくちゃいけないのか、誰のために戦っているのか、といった根本的な疑問や葛藤が生まれてきますよね。そうなると、生きるか死ぬかの状況なら空元気になるしかないんじゃないか、とも思えてきて……。悩んだ末、最後は自分なりにまっすぐ歌わせてもらいました。

引用:NHK

本当に感動的な歌声でした。

この撮影に入るために、森山さんは少しでも戦地の兵隊の気持ちに近づこうと、ほとんど食事を取らなかったそうです。

また、毎晩ロケ先のホテルから、暗い田んぼや畑のあぜ道を20kmくらい走っていたそうです。

そんな役作りが、撃たれて死んでいく時のシーンに行かされたのですね。

■森山さんの歌に喜ぶファンの声 ↓

史実との違い

史実では、藤堂先生のモデル・遠藤喜美治が戦死するようなことはありませんでした。
 
遠藤喜美治は1971年、80歳で亡くなっています。
 
また、「エール」の藤堂先生の父親は軍人で厳しい教育でしたが、遠藤喜美治は貧しい農家の生まれです。
 
史実と共通しているところは、裕一のモデル古関裕而を教えたことや、校歌を依頼したことで、その後の戦争の話は全くの創作と言えるでしょう。
 
「エール」に出てきたインパール作戦の実態については、こちらの本に詳しく書かれています ↓
 

 

まとめ

今回は森山直太朗さんの歌声で聞くことができた「ビルマ派遣軍の歌」についてのまとめでした。

藤堂先生や、モデルの遠藤喜美治氏については、こちらに書いています ↓



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