【エール】永田武(吉岡秀隆)のモデルは?長崎の鐘の著者永井隆についても

朝ドラ「エール」に原爆投下直後の長崎で被爆者の治療を行う医師、永田武(ながたたけし)が登場します。

永田武を演じるのは吉岡秀隆さんです。

永田武にはモデルがいます。随筆「長崎の鐘」を書いた長崎の医師・永井隆です。

こちらでは、永井隆について、また「長崎の鐘」について探っていきたいと思います。

 

【エール】永田武(吉岡秀隆)のモデルは?

永田武のモデルは、長崎の医師・永井隆です。


引用:如己堂(にょこどう)・長崎市永井隆記念館

永井隆を演じる吉岡秀隆さん ↓

 
 
 
 
 
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長崎の鐘の著者永井隆について

永井隆の生涯

永井隆は、1908年(明治41年)に島根県松江市で生まれました。

松江中学校を卒業して松江高等学校理科乙類に入学。

カトリックの森山家に下宿し、一人娘の緑に出会い、後に結婚します。森山家の先祖は隠れキリシタンでした。

1932年(昭和7年)、急性中耳炎になり、右耳が不自由になったため、当初志望した内科をやめて物理的療法科(レントゲン科)に入り、放射線医学を専攻することとなります。

1933年(昭和8年)、軍医として満州事変に従軍し、翌年帰還し大学の研究室助手に復帰します。

同年6月に洗礼を受け、8月に森山緑と結婚しました。無料診断・無料奉仕活動などを行います。

1937年(昭和12年)に始まった日中戦争では、第5師団衛生隊隊長・軍医中尉として出征します。計72回の戦闘に従軍しました。

現地では日本軍だけでなく中国人への医療にも従事しました。

1945年白血病で、余命3年と診断されます。戦時中に結核のX線検診に従事したためです。

その2ヶ月後の8月9日、長崎市に投下された原子爆弾で博士は被爆、右側頭動脈切断の重症を負い妻も失いました。

右側頭動脈切断という重傷を負いながらもその後約2ヶ月間にわたり被災者の救護活動を行ないます。

1946年末には病状が悪化、寝たきりの生活を余儀なくされます。 

寝たきりの状態で『長崎の鐘』のほか『この子を残して』『ロザリオの鎖』『原子雲の下に生きて』など、17冊の著書を書き上げました。

 

如己堂

永井隆が死までの3年あまりの日々を過ごしたのは如己堂(にょこどう)です。これは永井が療養を行うための場所でした。

名前の由来は、「汝に近いものを己のごとく愛す」というところからつけられたそうです。

1948年(昭和23)3月、浦上カトリック信者達の厚意により畳わずか2畳の家「如己堂」が建てられました。

永井はここで3年ほど過ごしました。来日中のヘレン・ケラーが見舞いにきたそうです。

白血病による心不全で1951年に亡くなりました。43歳でした。

長崎の鐘

「長崎の鐘」(ながさきのかね)は、もともとは永井隆が執筆した随筆です。

内容は、当時長崎医科大学助教授だった永井隆が、爆心地に近い同大学で被爆した時の状況と、右側頭動脈切断の重症を負いながら被爆者の救護活動に当たる様子を記録したものです。

被爆時に大学をはじめとする長崎の都市が完全に破壊された様子、火傷を負いながら死んでゆく同僚や市民たちの様子を克明に描いています。

永井は、この原爆で妻を亡くしました。また、救護の際には、頭部の重症と疲労から自らも危篤状態におちいったそうです。

「長崎の鐘」とは、廃墟となった浦上天主堂の煉瓦の中から、壊れずに掘り出された鐘のことです。

原爆を取り扱ったために出版許可が下りずに、書かれてから3年後に、日本軍によるマニラ大虐殺の記録集である「マニラの悲劇」との合本とすることを条件に、1949年(昭和24年)に出版され、空前のベストセラーとなりました。

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歌謡曲の「長崎の鐘」

「長崎の鐘」は、後にサトウハチロー作詞・古関裕而作曲の歌が作られ、藤山一郎が歌い大ヒット曲となりました。

米軍の検閲を避けるために直接原爆の描写は無く、戦災を受けた全ての受難者に対する鎮魂歌として受け入れられました。

 

映画化もされる

また、松竹より映画化もされています。原爆を取り扱った初めての映画でした。こちらもGHQによる検閲のため、原爆について真正面から取り上げず、永井隆博士の生涯を描いた作品という形で製作されました。

特に津島恵子演じる看護婦が、永井博士に思いを寄せる恋愛要素を入れたことで、映画として興味をそそるものになっています。

映画の最後のほうに映し出される浦上天主堂の遺構は1958年に撤去され保存されなかったので、その姿を見ることができるのは貴重な資料と言えるでしょう。

 

「エール」での永田武

吉岡秀隆さんが演じている永田武の登場は95話で、永田は白血病で病に臥せっていました。

裕一は、「長崎の鐘」の曲を作るのに、きっかけをつかもうと永田武に会いに行きます。

永田も戦争に2度行って、裕一の露営の歌などをよく歌ったものだ、と言います。

裕一は自分が戦争に加担したことを悔いているので「すみません」と言いますが、永田は「なぜ謝るのですか」と問い、「自分の贖罪のために歌を作るならやってほしくない」というのでした。

そして原爆にまつわる話をします。

原爆は兵隊だけでなく、普通に暮らす何万もの命をたったの一発で奪いました。

焦土と化した長崎・広島を見て、ある若者が「神は本当にいるとですか」と私に問うたとです。

私はこう答えました。「落ちろ落ちろ、どん底まで落ちろ」その意味あなたに分かりますか。

意味を聞く裕一に、自分で見つけることが曲作りのきっかけになる、と言うのでした。

 

まとめ

今回は、朝ドラ「エール」に登場する医師・永井隆の生涯と、その著作「長崎の鐘」について見てきました。

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